【歴史散策】愛知県日進市 岩崎城へ!Part1

こんにちは!今回は愛知県あいちけん日進市にっしんしにある岩崎城いわさきじょうへ行ってきました!

明智えっくん
明智えっくん

岩崎城は今も城の遺構いこうが当時のまま残っている部分も多く、行ってみるとおもしろいんですよ!

岩崎城公園(2022年3月時点でのデータになります)

【住所】愛知県日進市岩崎町市場いちば67

【会館時間】9:00~17:00(最終入館は16:30)

【料金】無料 公園はもちろん、天守閣への入館も無料です!

【駐車場】あり

【公式サイト】

岩崎城址公園入口
明智えっくん
明智えっくん

駐車場はありますが、駐車できる数が少ないので桜の季節等の混雑する季節は近くのコインパーキングに駐車する必要があります!

岩崎城の歴史
明智えっくん
明智えっくん

織田信長おだのぶながの父である織田信秀おだのぶひでが築城し属将の荒川頼宗あらかわよりむねが守備していたと言われています。その後、松平清康まつだいらきよやす(徳川家康とくがわいえやすの祖父)に奪われましたが守山崩もりやまくずれで松平清康が死去すると、松平勢は尾張から退却。この地方の豪族であった丹羽氏清にわうじきよが修繕し約60年間丹羽氏の居城となりました。

その後は1584年に勃発した小牧こまき長久手ながくての戦いでも岩崎城が登場しますが、小牧・長久手の戦いのお話はまた後程!

まずは岩崎城の二の丸庭園から見ていきましょう!

二の丸庭園 説明書き
明智えっくん
明智えっくん

二の丸庭園がある場所は本来、馬出だったとも言われているそうです。

岩崎城 二の丸庭園
水琴窟
水琴窟 説明書き
明智えっくん
明智えっくん

二の丸庭園には水琴窟すいきんくつというものがあります。

水琴窟とは手や口を清める「手水鉢ちょうずばち」や「つくばい」近くにつりがね状の瓶を伏せて地中に埋めたものです。

水を入れると琴のような音色が聴けるとの事でしたが水が枯れていて聴けませんでした(´;ω;`)

土橋跡
土橋跡 説明書き
明智えっくん
明智えっくん

二の丸と本丸を繋ぐ土橋跡どばしあとです。現在は再建された橋がかかっています。

空堀
空堀
明智えっくん
明智えっくん

土橋跡の下には空堀からぼりが当時に近い形で残っています。かなり深いので落ちたら自力で上がってこれるのでしょうか…。

豊臣くん
豊臣くん

落ち葉がデラ落ちておるのぉ

明智えっくん
明智えっくん

筆者が岩崎城に行った次の日に空堀の掃除が行われたそうです。なのでこの時が落ち葉MAXだったかもしれません。

ちなみに空堀の掃除を希望する方は応募すれば参加できるそうです。(定員あり)

櫓台 説明書き
明智えっくん
明智えっくん

櫓台やぐらだいに登っていきます!

忠魂碑
明智えっくん
明智えっくん

櫓台の頂上には忠魂碑ちゅうこんひがあります。

忠魂碑 説明書き
岩崎城 古墳
武田のおじさま
武田のおじさま

なんじゃこの溝みたいなものは?

明智えっくん
明智えっくん

これは岩崎城の古墳なんです!岩崎城の発掘調査時にたまたま発見され、6世紀につくられたと推定されます。保存状態が良くなかったため、周辺地域の後期群集墳こうきぐんしゅうふんを参考に模式的に横穴式石室よこあなしきせきしつを復元したものになります。

武田のおじさま
武田のおじさま

そうなのか!それはすごいのぉ

丹羽勘助・古城之跡
丹羽勘助・古城之跡 説明書き
明智えっくん
明智えっくん

この石碑は1709年に書かれた本にもこの石碑の存在が書かれており、1709年より以前からある大変古い石碑になっています。

丹羽勘助にわかんすけとは別の名を丹羽氏次にわうじつぐと言い、岩崎城最後の城主となった人物です。丹羽氏次は関ヶ原の戦いで武功を上げ一万石の大名となり三河の地へ移りました。

っという感じで今回は以上です!次回の更新もお楽しみに!!

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