【歴史散策】800本の桜!岡崎城を有す岡崎公園へ!

今回は愛知県あいちけん岡崎市おかざきし岡崎城おかざきじょうを有す岡崎公園へ向かいました!

徳川殿
徳川殿

ワシが産まれた城である!

岡崎城とは 超簡単に

岡崎市の明大寺町みょうだいじちょう西郷頼嗣さいごうよりつぐが築城した後、松平清康まつだいらきよやす(徳川家康とくがわいえやすの祖父)が現在の地に移して以来、岡崎城と呼ばれるようになりました。

その後、徳川家康が岡崎城で生まれ、しばらく徳川家の城としてありましたが、豊臣秀吉によって徳川家康が関東に移されると豊臣秀吉とよとみひでよしの家臣が入城しましたが、徳川家康が江戸幕府を開いた後は譜代大名ふだいだいみょうにここを守らせた。

明治の廃城令で取り壊されるが1959年に復興天守ふっこうてんしゅ(確実にこの場所に天守があったが、姿が分からないので想像で建築された天守)として再建されました。

桜まつりという事で、公園内は人で賑わったり屋台も出たりしていて盛り上がっていました!

天気はあいにくの曇り時々雨でしたが、桜は満開でした!

明智えっくん
明智えっくん

では今回はもくもくと撮影した写真をアップしていこうと思います!

徳川殿
徳川殿

ほっほっほ。さーすがワシの岡崎公園じゃのぉ!

岡崎といえば超人気YouTuberの東海オンエアですね!東海オンエアがよく撮影している多目的広場も見ることができてテンションがあがりましたw

徳川殿
徳川殿

では、ワシの実家に行くとするかのぉ~ただいま~!

明智えっくん
明智えっくん

お邪魔しま~す!

徳川殿
徳川殿

入館料200円。場内は撮影禁止じゃ!

天守から見る岡崎公園ないの桜もとても綺麗でした。

徳川殿
徳川殿

岡崎の町もずいぶん発展し嬉しいですぞ!ほっほっほ!

では天守を降ります!

徳川四天王の一人、本多平八郎忠勝公の像。

武田信玄と戦った三方ヶ原の戦いでボロ負けした後の徳川家康を描いた絵を元に石像にしたもの。

武田のおじさま
武田のおじさま

あの時の家康公は小童じゃったのぉ

徳川殿
徳川殿

武田軍の強さを思い知らされました…。

武田のおじさま
武田のおじさま

逃げるときウンコを漏らして家臣に「これは焼き味噌じゃ!」と言ったとか言ってないとか

徳川殿
徳川殿

それを言うでない!!!!!!!!!!!!!!!

天守を降りた後は休憩をするために、隠居曲輪にある【八丁味噌料理 いちかわ】へ向かいました!

徳川殿
徳川殿

ここには面白いパフェがあるんじゃぞ!

筆者の同行者さんがご食事なさった、徳川家康の兜をイメージした【徳川家康公パフェ 歯朶前立クッキー】です。抹茶みつ&北海道小豆を使用したものになります。

そして筆者が食べた【本多忠勝パフェ 鹿角脇立クッキー】です。

黒蜜&八丁味噌を使用した甘じょっぱい新感覚のパフェでほんっっっっっっっとにおいしかったです。映える写真も撮れますし、岡崎公園に行った際は食べる事をオススメします!

では岡崎公園を後に次の目的地へ移動します。

徳川殿
徳川殿

またいつか必ず帰ってくるぞ!

ちょっと一言

岡崎公園の中には「三河武士のやかた家康館」という徳川家康の出生から天下統一までと、家康を支えた三河武士たちの解説がされた資料館です。中でも関ヶ原の戦いの動くジオラマはかなり分かりやすく関ヶ原の戦いを解説してくれるのでオススメです!

岡崎公園、岡崎城へ訪れた際は必ず行ってほしいです!!!

ところで岡崎公園内に面白いものを発見しました!

眼鏡をかけた竹千代像です!(竹千代とは徳川家康の子供の頃の名前)

徳川殿
徳川殿

なんじゃこりゃ!

明智えっくん
明智えっくん

落とし物の眼鏡を誰かが拾って竹千代像にかけたのではないでしょかw

信長さま
信長さま

ぷぷぷ

徳川殿
徳川殿

信長殿ぉぉ~( ;∀;)

岡崎城 城郭データ Wikipediaから引用

別名      龍城

城郭構造    梯郭式平山城ていかくしきひらやまじょう

天守構造    複合連結式望楼型3重3階(1617年築・非現存)

        復興(1959年:昭和34年)RC造

築城年     享徳きょうとく元年(1452年)(享徳4年説あり)

主な改修者   松平清康、田中吉政たなかよしまさ本多忠利ほんだただよし

主な城主    西郷氏、松平氏、田中氏、本多氏、水野氏

廃城年     明治6年(1873年)

遺構      石垣、堀

指定文化財   岡崎城跡(岡崎市指定史跡)

再建造物    天守、門

次回予告

徳川家の菩提寺 大樹寺へ!!

江戸幕府歴代将軍の位牌や松平家歴代当主のお墓がある、歴史のあるお寺!桜も綺麗でした!

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