【歴史資料館】浅井三代の城!小谷城へ!Part2

こんにちは!

今回はGWに弾丸ツアーで行った滋賀県の戦国観光地を巡る旅の続きです!

前回の記事はこちら👆

前回は小谷城おだにじょう金吾丸きんごまるまで行きましたが、今回はここから先に進んでいきます!

明智えっくん
明智えっくん

前回はシャトルバスでこの金吾丸まで来たが、ここからは徒歩になりますぞ!

豊臣くん
豊臣くん

注意してほしいのはシャトルバスは不定期の運行なので、事前にシャトルバスが出ておるか調べるといいんだがね!

明智えっくん
明智えっくん

シャトルバスが出ていないときはこの金吾丸まで自家用車で来れますが、路上駐車になるのであまりオススメはしません。

小谷城とは 超簡単に

小谷山にそびえ立つ城。

浅井長政あざいながまさの祖父、浅井亮政あざいすけまさが築城。

二代目の浅井久政あざいひさまさから三代目の長政に引き継がれるも、織田信長おだのぶながを裏切ったがために攻められて落城。浅井久政、浅井長政はこの城で自刃。

その後は羽柴秀吉はしばひでよしが入城したが、すぐに長浜城ながはまじょうを築城し、移動したために廃城となった。

では金吾丸から先へレッツゴー!

まずは番所跡ばんしょあとです。ここには番所があり、小谷城主要部への入り口となっていました。

では先に進みます。

木々がものすごい数で道もそこまで整地されていませんので、靴選びには注意!

続いて御茶屋跡おちゃやあと。風雅な「御茶屋」名前に反して軍事施設でした。

だいぶ高くなってきました。

写真中央に見える小さめの山。

ここは虎御前山とらごぜんやまと言って小谷城の戦いのとき織田軍の前線基地である虎御前山城とらごぜんやまじょうがありました。この小谷城から距離約500メートル。

この小谷城から織田軍の虎御前山城を見ていた浅井長政の心境や如何に。

では先へ進みます!

馬洗池うまあらいいけ。ここの池の水は耐えた事がないそうです。

御馬屋跡おうまやあと

この辺りに浅井軍の馬がいたわけです。小谷山は人間なら登るのは大変だけど、馬だと楽なのかな~と思う筆者でした。

南東を見下ろすと伊吹山いぶきやま姉川古戦場あねがわこせんじょうが見えます。姉川古戦場も後でいきますよ!

では先へ進みます。

首据石くびすえいし

浅井家初代当主の浅井亮政が敵方に内通した家臣の今井秀信いまいひでのぶを謀殺し、その首を置いた石。

明智えっくん
明智えっくん

な、なんとも恐ろしいですな…。

首据石の先は分かれ道になっており、右に進むと赤尾美作守あかおみまさかのかみ屋敷址やしきあとへ進みます。左に行けば天守へ行きます。

後程、右の赤尾美作守屋敷址にも行きますが、まずは左の本丸へ進みます!

赤尾美作守屋敷址は浅井長政自刃の地になっております!

分かれ道を進むとまず黒金門跡くろがねもんあとに着きます。

桜馬場跡さくらのばばあとへ着きました。

この場所で大河ドラマ「ごうひめたちの戦国せんごく~」のロケを行ったそうです。

石碑と

浅井氏乃家臣供養塔あざいしのかしんくようとう

桜馬場跡からの景色も美しいです。踏み台が設置してあり、若干高い場所から写真撮影ができます。

石碑の文字が見えにくいですが、大広間跡と書かれています。

説明書きには前面に高さ約4メートルの石垣と、石組みの井戸跡が確認されていると書かれています。

かなり広い空間という事がわかります。

明智えっくん
明智えっくん

石がゴロゴロ転がっていますが観光ボランティアガイドの方に「この山一帯が史跡に指定されているので、石1つ動かしてはいけません!とプレッシャーをかけられましたw」

石垣。野面積のづらづみ(石をほとんど加工しないで詰む方法)になっています。

井戸跡。

明智えっくん
明智えっくん

写真だと分かりづらいですな(;^ω^)

では本丸へ行きます!

石垣を登るために階段が設置されていますが、結構急な階段なので、登るのは注意です!

本丸跡ほんまるあと

今では木々が生い茂っていますが、当時は鉄壁の天守として浅井家を守っていたでしょう。

初代浅井亮政、二代目浅井久政、三代目浅井長政もこのように天守から大広間を見ていたのでしょうか。

この本丸の先にも大堀切おおほりきり京極丸きょうごくまるがありますが、今回は時間の関係で断念です!

ですが赤尾美作守屋敷址へはどうしても行きたいので向かいます!

赤尾美作守屋敷址への道はかなり狭くて足を踏み外すと転がり落ちてしまいそうです。

明智えっくん
明智えっくん

赤線が道です。かなり細いし足場も悪いです!

そして赤尾美作守屋敷址へ到着。

そして赤尾美作守屋敷址を進んでいくと…

浅井長政公自刃之地があります。ここで自刃をするとき、何を考えたのでしょうか。

信長を裏切るべきではなかったのか…

いやいや義を重んじて義景様についたんじゃ。某は間違ってはいない。

お市や茶々、初、江はどうなるんだ?

追記

浅井長政謀反むほんの理由は朝倉義景あさくらよしかげとの同盟を重んじたためというのが通説でしたが、最近では織田信長と浅井長政は同じ立場の同盟者であったはずが、織田信長が浅井長政を自分の家臣のように扱うようになり、それを良しとしなかった為、浅井長政が裏切ったという説もあります。

長政公がどう考えたかは長政公にしかわかりませんね。静かに合掌させていただきました。

浅井久政公自刃之地の写真をインターネットで調べると後ろの石積みのところに墓標があったみたいですが、最近になってこの場所に移動したようですね。詳しい事が分かる方がいたら教えていただきたいです。

これにて小谷山を下山させていただきます!

帰りはシャトルバスを使わず、自分の足で下山する事にしました。

間柄峠址あいだがらとうげあとを通って下山します。

道は狭く石が大量にあり、かなり大変でした。

明智えっくん
明智えっくん

徒歩で下山した事を後悔したことは内緒です!

城郭データ Wikiより引用

城郭構造   梯郭式山城

天守構造   二重天守(非現存)

築城主   浅井亮政

築城年   1516年(永正13年)か

主な改修者 浅井氏

主な城主  浅井長政、羽柴秀吉

廃城年   1575年(天正3年)

遺構    曲輪、堀切、土塁、石垣、縦堀、礎石、虎口

指定文化財 国の史跡 

再建造物  なし

明智えっくん
明智えっくん

今回私は本丸まで行って引き返してしまいましたが、本丸の先には京極丸や浅井久政が自刃した小丸などもあるので、時間がある方は是非どうぞ!

ちなみに観光ボランティアガイドの方に聞きましたが、全て回るのには4時間はかかるそうです!

っという感じで今回は以上です!次回の更新もお楽しみに!

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