【歴史散策】織田信長の居城 安土城跡へ迫る! Part3

こんにちは!

今回も2022年のGWに訪れた滋賀県の戦国史跡観光の記事になります!

前回は織田信長の菩提寺、摠見寺へ行きました!

では摠見寺より先に進むことにします!

先へ進むと《右 天主,本丸跡》の道しるべが見えてきます。

明智えっくん
明智えっくん

安土城の天主は天守ではなく天主と書きます。

これは織田信長の家臣である太田牛一の著書、信長公記に書かれています。

ここにも石仏を発見。

まだまだ登っていきます。

お年寄りの方もいましたがかないキツそうでした(;^ω^)

伝 武井夕庵(たけいせきあん)邸跡。

斎藤道三、義龍、龍興の斎藤家三代につかえ、斎藤家が滅ぼされると織田信長に仕えて右筆として活躍しました。

現在は何も残っていません。

摠見寺墓地へと続く道。

天主、本丸跡に至る。

ついに本丸に到着しました。もう少しで天主跡に着きます。

ここで分かれ道に着きます。右に行けば天主跡。

左に行けば重要文化財の仁王門や三重塔へ行けますが、まずは天主へ!

織田信澄(おだのぶずみ)邸址と森蘭丸(もりらんまる)邸址へ着きました。

織田信澄とは、織田信長の弟の織田信勝(信行とも)の嫡男になります。

信長と敵対していた信勝でしたが、子の信澄は許されて信長に仕えていました。

明智えっくん
明智えっくん

信長様は冷酷と思われがちですが、信勝の家臣だった柴田勝家殿や信澄様を許したり、裏切りまくった松永久秀殿を許したり、実は優しいお方だったんですよ!

信長さま
信長さま

黙れ。キンカン頭。

そして森蘭丸(もりらんまる)とは織田信長の小姓で信長の秘書的な立場にありました。

戦になれば信長の盾になり、男色の関係もあったと言われています。

信長さま
信長さま

蘭丸は本当に可愛いヤツであった。

明智えっくん
明智えっくん

っという感じで今回は以上です!次回は天主へ行きます!

次回の更新もお楽しみに!

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