【歴史散策】長島一向一揆の地を巡る Part3

こんにちは!

今回も長島一向一揆の地を巡っていきます。

前回は愛知県弥富市にある鯏浦城跡である鯏浦山薬師寺へ向かいました。

前回の記事はこちら👆

今回は織田信長の弟である織田信興の居城であり、自刃の地でもある愛知県愛西市(あいさいし)にある古木江(こきえ)城跡である富岡神社へ向かいました。

古木江城とは 超簡単に

伊勢長島の一向一揆の抑えとして永禄10年(1567年)頃に織田信長の弟である織田信興によって築城されました。合戦が始まると門徒勢が長島城を落とした後に、古木江城と襲撃。

信興は援軍を要請するも浅井・朝倉軍や比叡山延暦寺の門徒との戦いで援軍が出せず古木江城は落城。信興も自刃した。

現在、城があったとされる周辺は愛西市の特産品であるレンコン畑になっており、城の遺構は残っておらず、城があった場所は富岡神社になっている。

富岡神社のすぐ近くには道の駅 ふれあいの里があります。撮影したのは5月末でこどもの日は過ぎていましたが、多くのこいのぼりがあっていい雰囲気でした。富岡神社には駐車場がないので今回はここに駐車させていただきました。(もちろん買い物もさせていただきました)

富岡神社の周辺は森川花はす田があり夏には綺麗な花が見れます。

こんな感じで向かいました。

明智えっくん
明智えっくん

木々が生い茂っており、ちょっとした林っぽくなっています。

そして到着しました。

富岡神社 2022年5月時点でのデータになります

【住所】   愛知県愛西市森川町字村仲86

【電話番号】 なし

【アクセス】 名鉄津島線佐屋駅・五ノ三駅から徒歩約20分

【駐車場】  なし

信長記(信長公記)によると織田信興は櫓の上で自害したと書かれていますが、地元では城外で討死したと伝えられています。信長記(信長公記)の著者である太田牛一が信興の事を思って討死ではなく自害したと書き残したのかもしれませんね。

信長さま
信長さま

信興よ、あの時は援軍を出せずにすまなかった…。

ちなみに長島城・願証寺・鯏浦城・荷之上城・古木江城の場所はこのようになっています。

明智えっくん
明智えっくん

願証寺は今では長良川の流路に水没しています。

当時の地図。川が入り乱れるようになっているのがわかります。

現在の地図と重ねるとこんな感じに。川の流れが全く違う事がわかりますね。(長島城の位置がうまく合いませんでした)

鳥居を潜って奥へ進むと

祠があります。合掌。その他は特になにもありませんでした。遺構なども全て失われているようです。

古木江城 城郭データ wikiより引用

【城郭構造】   平城

【築城主】    織田信興

【築城年】    永禄10年(1567年)頃

【主な城主】   織田信興

【廃城年】    元亀2年(1571年)

【遺構】     なし

【指定文化財】  未指定

明智えっくん
明智えっくん

っという感じで愛知県愛西市にある古木江城跡の富岡神社でした!

次回は長島城跡へ行こうと思います!次回の更新もお楽しみに!

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