こんちゃっす!
今回は長島一向一揆の地を巡っていきます!
久しぶりの歴史散策になりますね!
前回は長島城址へ行きました。
前回の記事はこちら👆
今回向かった場所は長嶋一向一揆でまさに織田家と激戦を繰り広げた願証寺(がんしょうじ)へ向かおうと思います!
浄土真宗本願寺派 長島山 願證寺。
證の新字体が願なので願證寺でも願証寺でもどちらでもいいんだがね!
長島城から近いので、長島城跡を見に行ったらぜひ願証寺も見ていただきたいですね!
室町時代に大阪の石山(現在大阪城がある場所)にあった本願寺派の寺院として長島に作られた。
織田家と石山本願寺が戦になったときに、この願証寺も織田家と対立。信長の兄の信広や弟の信興も戦死する激しい戦いを繰り広げた。
願証寺はもともと今の場所にあった訳ではありません。
もともと現在の長良川が流れている場所にありましたが、明治時代の木曽三川分流工事時に長良川の水路に水没しました。
木曽三川分流工事は愛知県の小学生なら授業で習ったと思うんだがね!
では願証寺に入ります!
願証寺本堂。
この建物、おもしろいですよね。何の建物なのでしょうか?
豊臣家の家紋のようなものがある瓦。これもなんなのかわかりませんでした。
そして、長島一向一揆殉教之碑。1975年(昭和50年)には一向一揆400年追悼法要がこの願証寺で行われたようです。
【殉教】とは、宗教の侵攻の為に迫害を受け命を捨てるという意味です。
願証寺の門徒達は最後まで自分たちが正義と信じ戦って散っていったのでしょう。
信長は一端願証寺を許し寺から船で撤退をする門徒達を鉄砲でなぶり殺しにしたと言われています。
そして最終的には2万人もの門徒衆が殺されたと信長公記には書かれていますが、これは話を盛ったとも言われています。
あまり農民を殺してしまうと経済が停滞してしまいますからね。
願証寺を訪れた後に、国営木曽三川公園木曽三川センターに行き「水と緑の館・展望タワー」から願証寺のあった場所を見てみよう!と思いましたが、あいにくの工事中で入れませんでした。近いうちにリベンジします!
っという感じで長島一向一揆の地を巡る終了です。
長きに渡る織田家と願証寺の戦い。その史跡が今も残っている場所があります。
形あるものはいつか壊れると言われるように、いつか無くなってしまうかもしれません。
史跡に興味がある方はぜひ、訪れてみてください。
では次回の史跡散策の記事をお楽しみに!
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