【歴史散策】織田信長が元服を行った古渡城址へ!

こんちゃっす!今回は織田信長おだのぶながの父、織田信秀おだのぶひでの居城でもあり織田信長が元服げんぷくを行ったと言われる古渡城址ふるわたりじょうしである真宗大谷派名古屋別院しんしゅうおおたにはなごやべついんに向かいました!東別院ひがしべついんと言ったほうが名古屋の方には聞きなじみがあるかもしれません。

信長さま
信長さま

元服とは今でいう成人式の事じゃ。

この記事では正式名称の真宗大谷派名古屋別院ではなく、聞きなれた東別院の名称を使用させていただきます。

古渡城とは 超簡単に

織田信秀が東南の敵対国である三河みかわ松平まつだいら氏や今川いまがわ氏に対するために築城。

ここで織田信長が13歳の時に元服をした。後に織田信秀が末森城すえもりじょうを築城し居城を移したため、14年で廃城となった。後に尾張藩2代藩主徳川光友より真宗大谷派名古屋別院が建立された。

1945年の名古屋大空襲で本堂をはじめほとんどの施設が消失。現在の本堂は再建されたものになる。

東別院に到着すると、超巨大な山門さんもんが鎮座しています。

宝暦ほうれき7年(1757年)に建立しましたが、昭和しょうわ20年(1945年)の名古屋大空襲で焼失し昭和43年(1968年)に再建されたものになります。

山門を近距離から。

境内から見た山門。写真左下に人が映っていますが、それと比べてみてもわかるように、本当にデカいです。

山門を通って左に行くと古渡城址の石碑があります。

織田信長が今川義元いまがわよしもとを破った桶狭間おけはざまの戦い時に清州城から桶狭間までの道を観光ルート化した信長攻路にもなっています。

本堂。元禄15年(1702年)建立。本堂も昭和20年(1945年)の名古屋大空襲で焼失しました。昭和37年(1962年)尾張門徒の総力をあげて再建されました。

本堂内。本尊ほんぞん阿弥陀如来あみだにょらい

この写真だけiPhone11proで撮影しました。

本堂前の広いスペースでは毎月8のつく日に朝一が開かれており、大変賑わっているそうです。

名古屋教務所。

明智えっくん
明智えっくん

この東別院に行った時に、かならず見てほしい場所があるのでご紹介します!

先ほどから何回か昭和20年(1945年)の名古屋大空襲でほとんどの建築物が消失したと書きましたが、名古屋大空襲の戦災を免れた東別院最古の建造物をご紹介します。

これがその東門です。

写真からでも門の歴史を感じられる佇まいになっています。

境内側から。

真宗大谷派名古屋別院

【住所】       愛知県名古屋市中区橘なかくたちばな2丁目8-55

【休業日】      年中無休

【開門~閉門時間】  10月~4月 6:00~16:30

           5月~9月 6:00~17:30

【電話番号】     052-321-3184

【駐車場】      あり

【アクセス】     <電車> 東別院駅下車4番出口

古渡城 城郭データ Wikipediaより引用

城郭構造     平城

築城主      織田信秀

築城年      天文3年(1534年)

廃城年      天文17年(1548年)

遺構       堀

指定文化財    未指定

明智えっくん
明智えっくん

っという感じで東別院でしたが、ここから少し移動して、違う史跡もサクっと紹介したいと思います。

東別院のすぐ近くに栄国寺えいこくじというお寺があります。

キリスト教の弾圧時代にキリスト教徒の処刑地となっていた場所の跡地に建てられたお寺です。

お寺の境内には切支丹遺蹟きりしたんいせき博物館と松原幼稚園があります。

この先になにかあるようです。

他にも系内には千人塚(別名・切支丹塚きりしたんづか)と呼ばれる、ここで処断にあったキリシタンを弔う塚があります。

明治11年(1897年)に2歳で亡くなった昴那鈴木アンナスズキさんのお墓です。

亀甲岩きこうがん思惟しゆい

【紀州若山串本町史によれば 訳千四百万年前に紀州南部で大規模な火山活動があり 噴出した溶岩が冷えて収縮したし岩体の軟らかい部分が侵食されたりして奇岩巨岩が出現したことが知られています(中日新聞)

この巨石は想うに色々の人の手によってこの地にたどり着き 遂に城南の聖地に鎮座したと想像します 聖域の歴史を偲ぶ腰掛けの姿をつくりました

伝統と古るさとをとうとうぶ皆さんも腰かけ歴史を考察しませんか

左手に建てる岩は三尊体の表現】

こんなものもありました。

栄国寺本堂。道が狭かったため、引きでの写真が撮れませんでした。

切支丹遺蹟博物館は、残念ながらお休みでした。

という事で栄国寺を後に次の場所へ向かいます。

信長さま
信長さま

次はワシにゆかりのある場所じゃ

日置ひおき神社という所にきました。栄国寺から徒歩3分くらいにあります。

桶狭間の戦いのとき、織田信長がここで戦勝祈願をし、戦勝のお礼に千本の松を植えたと伝わる神社です。

熱田神宮でも戦勝祈願をした事で有名ですが、熱田神宮の前にここでも戦勝祈願をしたようですね。

残念ながら千本の松は残っていません。明治29年(1896年)に千本松の最後の1本が枯れてしまったそうです。

日置神社本堂。

ここも信長行路になっています。

豊臣くん
豊臣くん

では最後にワシのでぇ~れぇ~優秀な家臣にまつわる場所に行くんだがね!

江戸時代初期。天下普請てんかぶしんで各地の大名が集められ名古屋城なごやじょうが築城されました。

名古屋城を建築するための資材を運ぶためにある堀川ほりかわという川が作られました。

その川を作った大名が

賤ヶ岳しずがたけ七本槍しちほんやりの筆頭、福島正則ふくしままさのりです。その福島正則の銅像が名古屋市中区栄なかくさかえ納屋橋なやばしゆめ広間にあります。先ほどの日置神社から徒歩で20分ほどの場所にあります。

この像は2018年に名古屋堀川ライオンズクラブの太田昭男会長が寄贈したものです。

堀川の開削の陣頭指揮をとる勇ましい姿になっています。

明智えっくん
明智えっくん

っという事で、信長様が元服を行った古渡城址にある東別院、キリシタンの処刑場だった栄国寺、信長様が桶狭間の戦いの時に戦勝祈願を行った日置神社、堀川開削を行った福島正則像の4つをご紹介させていただきました!

っという感じで今回は以上です!次回の更新もお楽しみに!

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