こんちゃっす!
今回は織田信長の生誕の地である勝幡城に向かおうと思います!
今回はもちろん、勝幡城にで~ら詳しい信長様に解説してもらうんだがね!
織田信長の祖父、織田信定が築城した城。現在の愛知県稲沢市と愛西市をまたぐようにあった勝幡城は自然の川を水堀とした強固な城だったと考えられる。
近年まで織田信長は那古野城で生まれたと考えられていたが、現在では勝幡城で生まれたという説の方が有力になっている。
ワシが産まれたころはまだ那古野城は敵対する今川氏親の居城だった事から、勝幡城説が有力である。
まず、この勝幡という地はもともと塩畑という地名で織田信長の父、織田信秀が縁起が良い勝ち旗から勝幡と改名したと伝わっています。
現在でも勝幡城址の東側の地名は塩畑となっておるぞ
まず最初の見所は名鉄津島線勝幡駅にあります!
勝幡城駅前には、織田信秀と、母親の土田御前(土田御前とも)、吉法師(後の織田信長)の像があります。
モザイクのアーティストである碧亜希子さんの描いた吉法師の絵画。織田信長は13歳で元服し、名を信長に改めたので、この信長は小学生くらいの年齢の時でしょうか。
信長様、老けす…大人っぽいです!
猿、腹切るか?
勝幡駅には他に、勝幡城のジオラマが展示してあります。
このジオラマは奈良大学の城郭考古学専門の千田嘉博博士考察のジオラマになっています。
城郭を水堀と土塁で囲まれ、四隅には櫓を備えた強固な城だった事が伺えます。
上には織田信長の略年譜も書かれています。
では勝幡城を目指すぞ
勝幡城の見所は2箇所あり、上の地図でいうと【勝幡城址】と【勝幡城跡 織田弾正忠平朝臣信定古城蹟】の2ヵ所になります。主に2つのルートから向かうといいと思います。
※弾正忠は(だんじょうのちゅう)とも読みます。
今回は勝幡城址から向かう事にします。
勝幡駅からは1キロなので徒歩でもいけるであろう
そして到着しました。勝幡城址。
残念ながら遺構は全く残っていません。
勝幡城の説明が書かれていますが、地べたに雨ざらしで置いてあるため、かなり傷んでいます。
勝幡城址の石碑は、設置してある木槌で叩くことができます。
消毒液が設置してあるところがまさにコロナ禍って感じがします。
カーンと甲高い、音がしました。
勝幡城址の石碑から少し西へ行くと日光川の嫁振橋があります。
嫁振橋には勝幡城の復元図のプレートがあります。
勝幡城の2ヵ所の石碑があるあたりの地名を城之内といい
橋を越えて少し南西に行くと城西という。地名にも城の名残を感じれるじゃろ?
ではもうひとつの場所へと向かいます!
途中、道路にこんなものがありました。稲沢市のゆるキャラ、いなっぴーですね。
川沿いの道には黄色いお花が咲いており、とても綺麗でした。
到着しました。
外からだと見逃しそうなくらい、規模が小さい史跡になっています。
では中へ入っていきます。
幟が数本と勝幡城跡織田弾正忠平朝臣信定古城蹟の石碑と説明書きがあるだけです。
こっちの石碑は叩くべからず。
先ほどから書いておりますが、勝幡城に関する意向は全く残っておらず、現地に行っても見れるものがこれだけになっています。
城跡周辺には数多くの幟があるので、もう少し盛り上がるといいなと思う筆者でした。
ちなみに今回、筆者が進んだ赤いルートとは別に青いルートで進んだ場合、☆マークのところに案内があります。
勝幡 町おこし隊とは如何に!?
御城印もゲットですー!
にっぽん城まつりで購入した金の御城印も紹介させていただきます。
っという感じで今回は以上です!次回の更新もお楽しみに!
コメント