【歴史散策】織田信長の最愛の女性 久菴さんの墓所へ

こんちゃっす!今回は愛知県江南市こうなんしにある織田信長おだのぶながが最も愛した女性と伝わる生駒吉乃いこまきつのの墓所がある久昌寺きゅうしょうじ公園へ行きました。

生駒吉乃とは 結構詳しく

まず、最初に知っておいてほしいのは生駒吉乃という名は正式名称ではありません。通常の資料では生駒家宗女いこまけそうじょと書かれています。(宗女とは跡継ぎの女性を指す)

吉乃という名は武功夜話ぶこうやわという書物内のみで使われている造語です。生駒家の子孫の方も否定しています。Wikipediaにはるいという名が生駒家に伝承されていると書かれていますがこれも間違い。この名も武功夜話、正確には通称前野家文書まえのけぶんしょでの話です。

彼女の戒名かいみょうである久菴きゅうあん桂昌けいしょう大禅定尼だいぜんじょうにから生駒家では久菴きゅうあんさんと呼ばれています。信憑性しんぴょうせいに賛否両論のある武功夜話での呼び名が広がりすぎてしまった結果、吉乃という名前が有名になってしまっています。

織田信長の正室と言えば美濃みの斎藤道三さいとうどうさんの娘、帰蝶きちょう(濃姫のうひめ)が有名ですが濃姫の資料も乏しく実像がほとんど分かっていません。通説では信長と帰蝶の間には子供がいなかったとされ、早世そうせいした説もあります。しかし久菴は信忠のぶただ(異説あり)、信雄のぶかつ徳姫とくひめ(異説あり)の親とされており、信長最愛の女性と言われています。

久昌寺とは 超簡単に

愛知県江南市にある生駒家の菩提寺。本堂の西には生駒家の墓地がある。

令和3年(2021年)老朽化や檀家が少ない事から解体が決定。翌年の令和4年(2022年)から解体が開始され現在は公園となっています。

明智えっくん
明智えっくん

今回は解体前と解体後の写真を比較しながら写真をアップしていこうと思います。

2021年8月29日の久昌寺。

まずは解体直前の久昌寺。木々の手入れがされておらず、ボウボウに生えている状態です。

2023年2月4日の久昌寺

解体後の久昌寺。何もない状態でベンチが設置してありました。

2021年8月29日
2023年2月4日

久昌寺は解体されましたが、説明書きは残してありました。

2021年8月29日の久昌寺本堂

解体前は本堂まわりも木々が凄いです。

2023年2月4日の本堂前の参道

参道。本堂前の松の木が久昌寺の面影を残しています。

2021年8月29日
2021年8月29日

解体前は場所によっては草木で道を遮られるような場所もありました。

2021年8月29日

久昌寺解体中に写真右の建物、庫裏くりから天正てんしょう年間(1573年~1592年)の木材が使われている可能性が浮上し、一時解体が中断されました。

2021年8月29日 庫裏

歴史好きの間では解体が中断された事に歓喜の声が上がりましたが、結局解体は続行されました。

2023年2月4日
2023年2月4日
2023年2月4日

2023年2月4日の時点では立ち入り禁止の場所がありました。

2023年2月4日

では生駒家の墓地へ行きます。

2023年2月4日

墓地は数多くのお墓があります。

2021年8月29日

写真の一番右が久菴さんのお墓になります。

その隣が生駒家初代と二代目のお墓、その隣が三代目夫婦、その隣が四代目夫婦、その隣が五代目夫婦のお墓になっています。写真でもわかる通り、草が凄い事になっています。

2023年2月4日の

解体後。2月という事もありますが、2021年8月29日より綺麗に整備されています。

2021年8月29日

合掌。

2023年2月4日

草が無くなった事で、写真右奥に見える龍神社りゅうじんしゃの鳥居もよく見えます。(後ほど行きますよ)

2023年2月4日
2023年2月4日

では久昌寺を後に場所を少し移動します。

久昌寺公園

【住所】   愛知県江南市田代町たしろちょう郷中ごうなか51

【駐車場】  無料駐車場あり(10台ほど?)

【アクセス】 名鉄犬山線布袋駅から徒歩18分

明智えっくん
明智えっくん

では久昌寺公園から徒歩ですぐのところにある小折城址こおりじょうしへ向かいます。

ここからは2021年と2023年の写真の比較は無しでいきます。

布袋東保育園ほていひがしほいくえんに隣接して小折城址である生駒氏の邸址やしきあとの石碑があります。

弘治こうじ永禄えいろく年間(1555年~1570年)に築かれ、小牧・長久手の戦いの時には最前線だったこともあり大改修をされたようです。

小折城 城郭データ Wikipediaより部分的転用

別名     生駒屋敷

城郭構造   平城

築城主    生駒家宗いこまいえむね(久菴の父)

築城年    弘治こうじ永禄えいろく年間(1555年~1570年)

主な改宗者  生駒家長いこまいえなが(久菴の兄弟)・織田信雄

廃城年    明治めいじ4年(1871年)

遺構     廣間家ひろまけもん(生駒家にあった中門なかもんを移築したもの)

指定文化財  廣間家の門

明智えっくん
明智えっくん

小折城址(生駒家邸址)へは久昌寺から徒歩で3分ほどで着きます。

駐車場がないので注意!布袋東保育園に迷惑をかけてはいけません。

では続きまして龍神社へ向かいます!

豊臣くん
豊臣くん

先ほどの久菴さんのお墓の奥に見えた鳥居のある神社だがね!

龍神社に到着。こちらも久昌寺公園や小折城址から近いので歩いてこれます。

龍神社とは 超簡単に

生駒氏の氏神。社殿は元和げんな8年(1622年)に徳姫と生駒利豊いこまとしとよ(生駒家長の子)が再建したもの。小折城の西にしまるにあった龍神社には久菴の御殿跡があった。そのため織田信雄はここで生まれたと推測されます。

埴原はいばら加賀守かがのかみ常安つねやすのお墓。

久菴(吉乃)御殿跡と力石の説明。

130キロもある石を持ち上げる事がでたのでしょか(; ・`д・´)

龍神社

【住所】   愛知県江南市小折町こおりちょう八竜はちりゅう84

【駐車場】  なし。前の道が広いので路駐できます。駐停車禁止の標識もありません。

【アクセス】 久昌寺公園から徒歩3分ほど

明智えっくん
明智えっくん

では次の場所へ向かいます。

信長さま
信長さま

次は久菴が荼毘だびした(火葬する事)場所の田代墓地たしろぼちへ向かう。

田代墓地の久菴(吉乃)の荼毘地へ到着。

大きな木は吉乃桜と呼ばれNHK大河ドラマで【信長 KING OF ZIPANGU】で《しの》(久菴)を演じた高木美保さんが平成4年(1992年)5月5日に久昌寺を参拝の折に命名しました。樹齢400年を超えると言われています。

春には満開の桜を咲かせます。

経塚きょうづか(経典きょうてんを埋めた場所)にある観音像。小牧山の方角を向いています。

田代墓地

【住所】   愛知県江南市田代町西ノ丸236

【アクセス】 名鉄犬山線布袋駅から徒歩17分

       久昌寺公園から徒歩10分

       車で向かい場合は周辺の道が非常に狭いので注意!

【駐車場】  無料駐車場あり。普通車5台停めれます。

明智えっくん
明智えっくん

では最後にサクっと江南市の歴史民俗資料館へ向かいます!

ここにも久菴さんに関係する資料があります。

小折城の縄張りや信長、信忠、信雄像、久昌寺、生駒家の家系図などの解説がされています。

久昌寺公園に訪れた際は江南市歴史民俗資料館も一緒に見ることをオススメします!

江南市歴史民俗資料館

【住所】    愛知県江南市北野町川石25-1

【営業時間】  9:00~16:30

【入館料】   無料

【休館日】   毎月第3月曜日(ただし、祝祭日にあたる場合は翌日)

        年末年始(12月29日~1月4日)

        展示の変更及び郷土資料の整理期間(不定期)

【アクセス】  《電車》名鉄犬山線江南駅の東出口より徒歩6分

        《車》東名高速道路 小牧こまきICより国道155号線経由し約20分 

           名神高速道路 一宮いちのみやICより国道22号線経由し約25分

         ※久昌寺公園からは徒歩42分もかかるので車で行きましょう。

【駐車場】   無料駐車場あり

【江南市公式サイト 歴史民俗資料館】

明智えっくん
明智えっくん

最後に生駒家19代当主の生駒英夫さんが歴史の真実を伝えようと運営するサイトをご紹介させていただきます。武功夜話で使われる吉乃の名前についてや、久昌寺のドローン撮影映像などが見れるので面白いです!

明智えっくん
明智えっくん

っという感じで久菴さんの眠る久昌寺公園周辺を周りました!

次回の更新もお楽しみに!

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