こんにちは!
今回も2022年のGWに訪れた滋賀県の戦国ゆかりの地を紹介したいと思います。
前回とうとう1日目が終了し、今回から2日目に訪れた場所を紹介したいと思います。

1日目もいろいろ回りましたが2日目もいろいろ回りますぞ!

今回は織田信長の最後の居城であった安土城址に訪れました。
岐阜城を本拠地としていた織田信長が新しい本拠地として建てたお城。
当時のあった天守の中で最大の大きさを有していました。ちなみに安土城の場合は天守ではなく天主と書きます。
城の防御力はそれほど高くなく、むしろ政治的な役割に重きを置いた城だったと言われています。

この超巨大な城は3年という短い期間で築かれたんじゃぞ

特別史跡になっています。

ではお城へ行きたいと思います!

ちなみにペットは入れません。




石塁と大手山門跡。広大な土地に石垣が残っています。安土城の入り口の門ですね。
と、言ってもこの入口は公家などの高家の賓客をもてなすために使われた入口の門とされています。



東側石塁北上段郭と虎口。安土城の入り口となっています。


何でしょうかこれ?これが何なのかわかりませんでした。



西側石塁の桝形虎口と平入り虎口。
桝形虎口とは敵を狭いところに追い込み四方から弓矢や鉄砲で集中攻撃ができる虎口のことで、平入虎口とは桝形虎口のように敵を追い込む構造のない虎口の事を言います。



西上段郭と竈門跡。
郭とは土塁や石垣、堀などで区切った区画の事。この場所は畑地で井戸や洗い場、竈門があったそうです。



ちなみに安土城址は天守はないものの入山料が大人700円・小人200円かかります!

そしてこの大手道。山門から山の中腹まで約180mある直線の階段です。
幅は約6mと広くなっています。この道は公家や賓客が通りやすいように広くしてあったと言われています。公家は輿で来ますからね。

長く続く直線と、大きな幅。攻城をする側から見ればとても攻めやすい道になっています。

織田家の勢力下であるこの畿内(京都周辺の土地のとこ)にワシに歯向かう者などいなかったからな。城の防御が多少薄くても大丈夫だっただろう。

(すみません。私がいずれ裏切ります)
大手道が直線になっているのは、織田信長が最初に築城した小牧山城にも共通しています。織田信長は大手道を直線にするこだわりがあったかもしれません。

この安土城を築城にあたって織田信長や総奉行(築城の指揮官)であった丹羽長秀は周辺から多くの石を集めました。大量の石を集めるために石仏や墓石も使われました。その石仏が今もそのまま残されています。神や仏を恐れない信長らしい所存ですね。

この大手道にはワシや前田利家の家もあったんだがね!

伝 羽柴秀吉邸跡。








ワイの家、デラ広いじゃろ?


伝 羽柴秀吉邸跡の向かい側には伝 前田利家邸跡がありましたが、中に入る事はできませんでした。

っという感じで今回は以上です!安土城跡編、まだまだ続きます!
次回の更新もお楽しみに!
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