こんちゃっす!
今回は2023年の2月5日に訪れた愛知県津島市の戦国史跡散策の写真をアップします!

ボリューム満点なのでサクっと紹介していきます!

散策の始まりは天王川公園からです。天王川という名前が付いていますが、大きな池はあるものの川はありません。かつてこの場所には天王川という川が存在していました。江戸時代に廃川となると、天王川の名残の丸池ができ、大正時代にはこの丸池を中心に天王川公園が開園しました。
かつては競馬大会やオートバイのレースが行われていたり、動物園があった時期もありました。
天王川があったころは川の湊町として大いに賑わい、すぐ隣にある津島神社の門前町という事も相まって経済の中心になっていました。

その説明が公園の一画にあります。


経済の中心となっていたこの地は、織田信長の祖父である勝幡城城主の織田信定が支配していました。この津島湊で得た莫大な経済力で織田弾正忠家(織田信長の織田家)が力を持つことになりました。

俺の父、織田信秀は現在の愛知県名古屋市熱田区にあった熱田湊も掌握した事によって、さらなる経済力を手に入れたんだ。

天王川公園は藤棚が有名です。

春には尾張津島 藤まつりが行われたくさんの人で賑わいます。
【住所】 愛知県津島市宮川町1丁目地内外
【営業時間・休園日】公園なので特になし
【アクセス】 <電車>名鉄津島線津島駅より徒歩約15分
<バス>津島市ふれあいバス津島市老人福祉センターバス停から徒歩約3分
<車>弥富ICから約15分
【駐車場】 無料駐車場321台(利用時間5~22時)
イベント時有料 1000円
【駐輪場】 48台
【天王川公園公式サイト】

続きまして天王川公園のすぐ近くにある津島神社に向かいます!

津島神社には天王川公園から徒歩5分ほどで着きます。
東海地方を中心に約3000社ある津島神社・天王社の総本社。戦国時代には織田弾正忠家の経済拠点となり関係の深い神社となる。豊臣秀吉も社殿を修造するなどした。
尾張一の商業都市とも言われていた。織田家の家紋と津島神社の神紋は同じ木瓜紋である。

津島神社には南門と東門があり、南門側には大きな鳥居があり目を引きます。


では南門を越えて中へ進みます。
この南門は慶長3年(1598年)豊臣秀吉の子、豊臣秀頼が父の秀吉の病気平癒を祈願して寄進されました。

津島神社本殿。重要文化財。




いたるところに木瓜紋が見えます。


そして東側になる楼門。重要文化財。天正19年(1591年)豊臣秀吉より寄進されました。

津島神社の奥には宝寿院があります。

続きまして津島神社のすぐ近くにある清正公社へ向かいます!

ワシの家臣の加藤清正を祭る祠なんだがね!



加藤清正は永禄5年(1562円)愛知県名古屋市中村区で生まれました。
その後、父の加藤清忠が亡くなり永禄9年(1566年)に母と共に叔父が住んでいたこの地に寄寓しました。明治18年(1885年)にこの地に社と碑が建てられました。
この社には加藤清正のあるエピソードが伝わっています。虎之助(加藤清正の幼名)が叔父の家に寄寓していたころ、盗人が家に忍び込んできました。虎之助は葛籠の中に隠れ、それを知らない盗人が町外れで葛籠を開けた途端、鬼の面を被った虎之助が飛び出して盗人は驚き、何も取らずに逃げていったという逸話です。



さすがワシの認めた清正でありゃ~すな!

では次の場所へ!

続いて訪れたのは雲居寺です。

ここは永禄3年(1560年)織田信長と今川義元が激突した桶狭間の戦いで、今川義元に一番槍を付けた服部小平太の菩提寺になります。

服部小平太はここ、津島市出身だったそうです。

では次へ!

次に訪れたのは不動院になります。

ここは織田信長の祖父、織田信定が連歌師宋長をもてなした事が記録されています。
ちなみに、愛知県津島市の”津島まちなかナビ”では信長の父、織田信秀がもてなしたと書かれています。おそらく津島まちなかナビが間違っていると思われます。


地図で見てもわかる通り、雲居寺のすぐ近くになります。
では次の場所へ!

続いてやってきたのは成信坊というお寺です。
天正3年(1575年)織田信長が長島一向一揆と戦いで本願寺の教如が三河から帰西する際に織田の兵に襲われますが、住職の祐念が身代わりとなり討死した事の功績で津島御坊の称号を授けられました。

大きな鬼瓦。成信坊と書かれています。


では次の場所へ向かいます!

次に訪れたのは弘浄寺というお寺です。
ここは長島一向一揆の戦いの際、織田信長が布陣した場所になります。
織田信長は3度あった長島一向一揆の内、2回津島に布陣しました。
そのため、焼き払われてしまったと伝わっています。残念ながら門が閉ざされており、中に入る事ができませんでした。

では最後の場所へ向かいます!

最後に訪れたのは妙延寺というお寺です。ここは加藤清正が幼少期の頃、叔父の家に寄寓していた頃、ここで読み書きを習ったと言われています。境内には清正が習字の半紙を松に掛けて乾かしたと言われる清正双紙掛の松があったが太平洋戦争後に枯れてしまいました。

っという感じでサクっと愛知県津島市の戦国史跡巡りでした!
次回の更新もお楽しみに!
コメント