こんにちは!今回は愛知県日進市にある岩崎城へ行ってきました!

岩崎城は今も城の遺構が当時のまま残っている部分も多く、行ってみるとおもしろいんですよ!
【住所】愛知県日進市岩崎町市場67
【会館時間】9:00~17:00(最終入館は16:30)
【料金】無料 公園はもちろん、天守閣への入館も無料です!
【駐車場】あり
【公式サイト】


駐車場はありますが、駐車できる数が少ないので桜の季節等の混雑する季節は近くのコインパーキングに駐車する必要があります!


織田信長の父である織田信秀が築城し属将の荒川頼宗が守備していたと言われています。その後、松平清康(徳川家康の祖父)に奪われましたが守山崩れで松平清康が死去すると、松平勢は尾張から退却。この地方の豪族であった丹羽氏清が修繕し約60年間丹羽氏の居城となりました。
その後は1584年に勃発した小牧・長久手の戦いでも岩崎城が登場しますが、小牧・長久手の戦いのお話はまた後程!
まずは岩崎城の二の丸庭園から見ていきましょう!


二の丸庭園がある場所は本来、馬出だったとも言われているそうです。




二の丸庭園には水琴窟というものがあります。
水琴窟とは手や口を清める「手水鉢」や「つくばい」近くにつりがね状の瓶を伏せて地中に埋めたものです。
水を入れると琴のような音色が聴けるとの事でしたが水が枯れていて聴けませんでした(´;ω;`)



二の丸と本丸を繋ぐ土橋跡です。現在は再建された橋がかかっています。



土橋跡の下には空堀が当時に近い形で残っています。かなり深いので落ちたら自力で上がってこれるのでしょうか…。

落ち葉がデラ落ちておるのぉ

筆者が岩崎城に行った次の日に空堀の掃除が行われたそうです。なのでこの時が落ち葉MAXだったかもしれません。
ちなみに空堀の掃除を希望する方は応募すれば参加できるそうです。(定員あり)


櫓台に登っていきます!


櫓台の頂上には忠魂碑があります。



なんじゃこの溝みたいなものは?

これは岩崎城の古墳なんです!岩崎城の発掘調査時にたまたま発見され、6世紀につくられたと推定されます。保存状態が良くなかったため、周辺地域の後期群集墳を参考に模式的に横穴式石室を復元したものになります。

そうなのか!それはすごいのぉ



この石碑は1709年に書かれた本にもこの石碑の存在が書かれており、1709年より以前からある大変古い石碑になっています。
丹羽勘助とは別の名を丹羽氏次と言い、岩崎城最後の城主となった人物です。丹羽氏次は関ヶ原の戦いで武功を上げ一万石の大名となり三河の地へ移りました。
っという感じで今回は以上です!次回の更新もお楽しみに!!
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