愛西市の大野城・蟹江町の蟹江城へ!

こんちゃっす!

今回は2022年の12月25日に訪れた愛知県愛西市あいちけんあいさし大野城址おおのじょうし蟹江町かにえちょう蟹江城址かにえじょうしをご紹介させていただきます!

明智えっくん
明智えっくん

まずは愛西市の大野城址から行きます!

大野城(愛西市)とは 超簡単に

天正てんしょう12年(1584年)に蟹江城の支城しじょうのひとつとして織田信雄おだのぶかつ佐久間信栄さくまのぶひで(佐久間信盛さくまのぶもりの長男)によって築城される。

小牧こまき長久手ながくての戦いでは徳川家康とくがわいえやす側の山口重政やまぐちしげまさの城となる。羽柴秀吉はしばひでよし方の滝川一益たきがわかずますが攻めてきたが徳川家康と織田信雄が軍を率いて急行したため滝川一益は引き上げることになった。天正13年11月(1586年)の天正大地震てんしょうだいじしんで大きな被害を受けて廃城したと思われる。

田んぼ道を進むと大野城址の案内があります。

案内のすぐ先に石碑があります。

大野城址の石碑。

色褪いろあせた説明書き。小牧・長久手の戦いの前哨戦ぜんしょうせんと書かれていますが蟹江合戦かにえがっせんは小牧・長久手の戦いの終盤だったはずです。筆者の勘違いでしょうか。

今は昔この地は天正十二年六月の蟹江合戦の時 大野城を守る山口重政は母を人質にされながらも

恩を重んじ徳川方に味方し攻寄せる滝川一益等水軍を大野川に誘き寄せ千潮を利し

撃破し徳川の天下征服の基をひらいた由緒の地である吾々われわれは語り継がれた名誉ある歴史と

重政の忠義を更に永く後毘に伝えるための事を石に刻し記念とする

遺構いこうは全く残っていません。

写真では分かりづらいですが隣には日光川にっこうがわウォーターパークがあります。

大野城 Wikipediaより引用

別名     大野砦

城郭構造   平城

築城主    佐久間信勝

築城年    天正12年(1584年)

廃城年    天正14年?(1586年)

遺構     なし(埋没?)

明智えっくん
明智えっくん

駐車場がないが近くの道路に路駐することができます。しかし道が狭いので迷惑にならないようにしましょう。

明智えっくん
明智えっくん

続いて蟹江城址に向いたいと思うのですが、その前に蟹江町歴史民独資料館へ向かいます!

蟹江町歴史民俗資料館。

蟹江町出身の探偵小説家の小酒井こさかい不木ふぼくに関する資料や蟹江の歴史について学ぶことができます。

2階へ行くと蟹江合戦かにえがっせんの資料が展示してあります。

2階。大きな足踏み水車が目を引きます。

蟹江合戦で活躍した武将の紹介。ひとつずつ見ていきましょう。

九鬼嘉隆くきよしたか志摩しまの国(現在の三重県みえけん志摩市しまし)の国衆くにしゅう。水軍を率いて数々の戦で活躍しました。三重県鳥羽市とばしの鳥羽水族館は彼が築城した鳥羽城とばじょうの跡地にあります。

滝川一益。織田四天王おだしてんのうの1人で、鉄砲の扱いに長けた武将。水軍を率いて長島一向一揆や蟹江合戦で九鬼嘉隆と共に戦った。

明智えっくん
明智えっくん

この肖像画はあまり見かけません。

織田信雄。織田信長おだのぶながの次男であり織田家の存続させた人物。小牧・長久手の戦いでは徳川家康には言わずに勝手に戦争を終わらせた。信長に言わずに勝手に伊賀を攻めて大敗したり、正直評価はあまりよくない。

羽柴秀吉。小牧・長久手の戦いでは長久手の地で徳川家康に大敗。その後は織田信雄に目を付け外交で戦いを終わらせた。

徳川家康。小牧・長久手の戦いでは織田信雄に援軍を要請され、これを承諾。小牧山城に陣を置いた。羽柴秀吉の三河中入り(岡崎を奇襲する作戦)を見破り長久手の地で大勝する。

徳川殿
徳川殿

ワシ、武田信玄から海道一かいどういち弓取ゆみとりって言われてたんじゃなぁ

蟹江町歴史民俗資料館

【住所】    愛知県蟹江町城一丁目しろいっちょうめ214番地

【開館時間】  9:00~17:00

【休館日】   月曜日 祝祭日月曜日の場合翌日休 12月29日~1月3日

【入館料】   無料

【電話番号】  0567-95-3812

【アクセス】  (1)近鉄蟹江駅から徒歩で25分
        (2)東名阪道蟹江ICから車で7分
        (3)JR蟹江駅から徒歩で10分
        (4)近鉄蟹江駅バス停からバスで11分(蟹江町お散歩バス利用)
        歴史民俗資料館北バス停から徒歩で1分

【駐車場】   無料駐車場あり(たくさん駐車できます)

【蟹江町公式サイト歴史民俗資料館】

では蟹江城址へ向かいます。車で通り抜ける事ができない細い道なので注意。歴史資料館の駐車場に停めて徒歩で向かいましょう。

歴史民俗資料館の前には観光マップがありました。

到着。

蟹江城とは 超簡単に

永享えいきょう年間(1429年~1440年)に北条時任ほうじょうときとうが築城したと言われるが信憑性が疑われている。

戦国時代には本丸ほんまるまるさんまるがあり海沿いという事もあり強固な城だった。織田信長の時代には滝川一益の居城となり伊勢いせ(現在の三重県)の国衆くにしゅうたちとの戦いの拠点とした。羽柴秀吉と織田信雄・徳川家康連合軍の戦いとなった小牧・長久手の戦いでは織田信雄の家臣の佐久間信辰さくまのぶとき前田長定まえだながさだが城に入るも、前田長定が裏切り佐久間信辰を追放。滝川一益の兵と共に籠城ろうじょうするも、織田信雄と徳川家康に攻められ開城。

天正13年11月(1586年)の天正大地震で大野城などと共に壊滅した。

現在の蟹江城址は小さな公園となっています。

この辺りは蟹が多かったことから蟹江という名がついたみたいです。おもしろいですね。

我々は歴史を後世に伝える義務があると思っております。

駐輪場はありますが、駐車場はないので注意。そもそも狭すぎて車が通れるかわかりません。

石碑。

石碑が真っ黒だったので、補正してみました。

説明書きにある通り、蟹江城唯一の遺構、井戸跡がここから西に徒歩1分ほどの場所にあります。

到着。この道も非常に狭く、引きで写真を撮る事ができませんでした。

蟹江城本丸井戸の石碑。

ちょっと覗いてみたくありませんか?

中はこんな感じになっていました。水があるように見えます。

一説によると、徳川家康の生涯一の功績は蟹江城合戦での勝利とも言われている蟹江城。現在では井戸跡が残るのみですが、ここで激しい戦いがあった事には間違いありません。歴史好きの方は歴史資料館を含め、一度来てみるといいと思います♪

蟹江城 Wikipediaより引用

城郭構造     平城

築城主      北条時任?渡辺源十郎わたなべげんじゅうろう織田民部おだみんぶ?滝川一益?

築城年      永享年間(1429年~1440年)

廃城年      天正13年(1585年)

遺構       本丸井戸

指定文化財    未指定

明智えっくん
明智えっくん

っという感じで蟹江城でした!続いて別の場所へ向かいます!

蟹江町観光交流センター祭人さいとへ来ました。ここでは蟹江城の御城印がいただけます。

明智えっくん
明智えっくん

この蟹江町観光交流センターの近くに新選組の方のお墓があるので向かいます。

佐野さの七五三之助しめのすけという方の墓所になります。

七五三之助は身内の方々と共に葬られています。

筆者は幕末の事はわかりませんが、お参りをさせていただきました。

蟹江町観光交流センター祭人

【住所】      愛知県海部郡あまぐん蟹江町大字須成すなり川西上かわにしかみ371

【開館時間】    9:00~17:00

【休館日】     月曜日(祝日の場合は翌日)
          年末年始(12月29日~1月3日)

【電話番号】    0567-58-3310

【料金】      無料

【駐車場】     無料駐車場あり

【蟹江町観光交流センター祭人公式サイト】

大野城、蟹江城の御城印をゲット!

明智えっくん
明智えっくん

蟹江城の御城印は蟹江町観光交流センターで購入する事ができますが、大野城のものは愛西市にある「花のひより園」または「愛西市観光協会」で購入することができます♪

っという感じで愛知県愛西市の大野城址と愛知県蟹江町の蟹江城址でした!次回の更新もお楽しみに!

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