こんちゃっす!今回も織田信長と願証寺門徒衆の間で行われた長島一向一揆の地を巡っていきます!
前回は織田信長の弟、織田信興の居城であった古木江城跡である富岡神社へ行きました。
前回の記事はこちら👆
今回は三重県桑名市長島町にある長島城跡へ行きます!
寛元3年(1245年)に藤原道家(ふじわらのみちいえ)が館を築いたことに始まる。その後の元亀元年(1570年)に伊藤重晴(いとうしげはる)によって城が再建された。
後に願証寺の一向宗によって城が奪われ長嶋一向一揆の拠点となった。
織田信長が攻略後は滝川一益や織田信雄の居城になり明治5年(1872年)に廃城となった。
長島城がかつてあった場所は桑名市立長島中部小学校や桑名市立長島中学校になっており、城の遺構などはほとんど残っていません。
学校の校舎が天守っぽい造形になっていますね!
長島中部小学校の東側にある長島城の説明書き。小学校の敷地内に入らなくても見る事ができます。
写真の奥に見える大きな木がわかりますか?
これが樹齢300年を超えるクロマツです。
本当はもっと近くで撮影したかったのですが、小学校の敷地内にあるので断念しました!
長島中部小学校、長島中学校の東側には水路があります。ここはかつて水堀だったそうです。
続いては大手橋のところへ来ました。
場所はココになります。
ここには長島城の遺構である石垣が唯一残っている場所になります。
草が生えていて分かりづらいですが、草の合間から見える石垣が長島城があったころの石垣になります。
【住所】 三重県桑名市長島町西外面2188
【駐車場】 学校横に駐車できるスペースあり
【アクセス】 JR長島駅、近鉄長島駅から徒歩12分
続きまして、長島城の大手門が移築されたとされる、紫雲山 蓮生寺(しうんざん れんしょうじ)へ向かいます!
長島中部小学校から徒歩5分ほどの場所にあります!
お寺の入り口にある、小ぶりな門が長島城から移築された大手門になります。
明治9年(1876年)に移築され昭和58年(1983年)に桑名市指定文化財に指定されました。
増山(ましやま)氏とは1700年ごろに長島の藩主だったお家ですぞ!
この門には増山氏の家紋が残されています。
【住所】 三重県桑名市長島町又木77-3
【電話番号】 0594-42-0266
【駐車場】 あり
【アクセス】 JR関西本線 長島駅から徒歩13分
近鉄名古屋線 近鉄長島駅から徒歩10分
【公式サイト】
【城郭構造】 平城
【天守構造】 不明
【築城主】 藤原道家
【築城年】 寛元3年(1245年)
【主な改修者】 伊藤重晴、松平定政
【主な城主】 滝川一益、織田信雄、菅沼氏、久松松平氏、増山氏
【廃城年】 明治5年(1872年)
【遺構】 石垣、堀、移築大手門、移築奥書院
【指定文化財】 移築大手門、大松
現在の願証寺の近くにある深行寺(じんぎょうじ)には長島城の奥書院が移築されているので、そちらも見学する事をオススメします!
次回は願証寺へ行きます!
っという感じで今回は以上です!次回の更新もお楽しみに!
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