こんちゃっす!
今回は愛知県のあま市にある、戦国時代に関係するマイナーなお寺、2ヵ所に行ってきた時の写真を載せていこうと思います♪
まずは豊臣秀吉が幼いころに修行をしたと伝えられる光明寺です。
時宗横笛山 光明寺(じしゅうおうてきざん こうみょうじ)
【住所】 愛知県あま市中萱津道場114
【電話番号】 052-444-4148
【アクセス】 名鉄本線須ヶ口駅から徒歩約30分
名鉄津島線甚目寺駅から徒歩約30分
【駐車場】 お寺の東側に5台ほど駐車できます。
鐘楼門があるのが特徴的ですね。
ワシの実家である常泉寺から2.5キロほど離れたこの場所で8歳頃から修行をしておったんだがね…
修行はどうでした?
デラしんどい修行だったから逃げ出したんだがねw
※豊臣秀吉が光明寺で修行したとは太閤記に記載されているものですが「光明寺」というお寺は複数あり、本当にこの光明寺なのかは疑問視されています。が、このあま市の光明寺説が一番有力なのは間違いなさそうです。
本堂。それほど大きなお寺ではありません。
名古屋駅から秀吉が産まれた中村公園までの道を太閤秀吉功路といいます。その宣伝ポスター。
この道も後日訪れました。
光明寺に隣接して飛梅天満宮(とびうめてんまんぐう)があります。
では次の場所へ向かいましょう!
光明寺から旧鎌倉街道を南下し5分ほど歩くと到着します。
長久山 實成寺(ちょうきゅうざん じつじょうじ)です。このお寺も戦国時代と関連の深いお寺になります。いきなりですが、この山門は福島正則(ふくしままさのり)が清州城より移築したものと伝えられています。
数少ない清州城の遺構として伊勢湾台風も乗り越え、實成寺にあります。
ポケモンGOのポケストップになっており、その説明によると普段から車が門を通るため重要文化財にはなっておらず、有形文化財に登録されています。
ふと思ったのですが、長島城の大手門も車が通るからなのか、重要文化財ではなく有形文化財になっていますね!
【住所】 愛知県あま市中萱津南宿254
【アクセス】 名鉄本線須ヶ口駅から徒歩約35分
名鉄津島線甚目寺駅から徒歩約35分
【電話番号】 052-441-9119【駐車場】 複数台駐車可能
【公式サイト】
この實成寺は清州織田家(織田大和守家)の初代である織田敏定(おだとしさだ)が外護(げご)したお寺です。
専門用語が沢山出てきたので、超簡単に説明します。
《清州織田家》
戦国時代、織田家は「清州織田家(きよすおだけ)」と「岩倉織田家(いわくらおだけ)」の2つに分裂していました。現在の清須市周辺を領地としていたのだ清州織田家で岩倉市周辺を領地としていたのが岩倉織田家になります。織田信長は清州織田家に属していました。
《織田敏定》
清州織田家の初代。応仁の乱で敵対した岩倉織田家と対立し戦いを繰り広げていた。織田信長の父、信秀の父、信定の父親とも言われている。(信憑性はあまり高くない)
《外護》
権力や財力で仏教を保護する事。
實成寺 本堂。 有形文化財。
日本最大級の一石の涅槃像(ねはんぞう)。結構大きくて迫力がありました。
っという感じで今回はあま市にある豊臣秀吉が修行した光明寺と織田信長の曾祖父ともいわれている織田敏定が外護した寺院であり、清州城の数少ない遺構である山門がある實成寺のご紹介でした!
次回の更新もお楽しみに!
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