こんちゃっす!
今回は愛知県名古屋市守山区にある龍泉寺城址へ行きました!
弘治2年(1556年)(諸説あり)に織田信長の弟である織田信勝(信行)が築城。
北に庄内川があったり濃尾平野を見渡せる位置にあるため、桶狭間の戦いや小牧・長久手の戦いでも軍事拠点となった。遺構としては土塁や空堀が残っている。この堀は羽柴秀吉が一夜にして築いた事から一夜掘と言われる。
龍泉寺城址がある龍泉寺は、あま市の甚目寺観音、名古屋市中川区の荒子観音、名古屋市南区の笠寺観音と並んで尾張四観音のひとつとして数えられる。
尾張四観音とは名古屋城を中心に鬼門の方角に当たる四観音を鎮護として定めたものになるのじゃ。
東海地方の方は龍泉寺ウォーターパーク(現在は廃業)や龍泉寺の湯で【龍泉寺】というキーワードには馴染があるかたも多いと思います。その2つの施設のすぐそばにあります。
織田信勝。織田信長の実弟。うつけものと言われた兄、信長とは対照的に礼儀正しく家臣からの信頼も厚かった。その兄との食い違いが織田家内の分裂に繋がり信勝は織田家の当主を名乗り、ついに兄弟は稲生の戦いで衝突することになるも信長に敗北。母の土田御前の取りなしにより、許されるも再び謀反を企てたところ、それを知った柴田勝家が信長に密告し、信勝は信長に暗殺された。
信行・達成・信成など別名があった説もある。ゲーム・戦国無双などでは織田信行となっている。
もしや今後登場する可能性がある織田信長の次男、織田信雄とかぶるからか?
筆者が訪れたのは2023年の正月。史跡を周りすぎてブログが追い付いていないのが現状です…。
正月ということで、初詣に訪れた方が多かったです。仁王門にも謹賀新年の飾りが施してあります。
この仁王門は慶長12年(1607年)に建立されたもので重要文化財になっています。
仁王様の足元には猫ちゃんがいました。
躍動感があってとても立派ですね。
多宝塔。長久手合戦の際に焼失。慶長3年(1598年)から復興。明治年間に大修理を経て現在にいたります。阿弥陀如来が安置されています。
本堂。明治39年(1906年)に放火に合い焼失。焼け跡から慶長小判98枚と慶長大判2枚が見つかりました。
それを基金として明治44年(1911年)に再建され今に至ります。本尊を基金として明治44年(1911年)に再建され今にいたります。本尊は馬頭観音。
またまた猫ちゃんを発見。だいぶ人に慣れていそうです。この龍泉寺は可愛い猫ちゃんがいっぱいいるのです。
では、龍泉寺の少し奥へ行きます。
この龍泉寺には龍泉寺城の模擬天守(もともとは天守が無かったお城に観光目的等で天守が作られたもののこと)があり、中に入る事ができます。昭和39年(1964年)に復元されました。
後ほど記載させていただきますが、模擬天守内に入れる日は少ないので気をつけてください。
運よく三が日はオープンしていたので、中に入ることができました。
では入ります。
中は資料館になっており、仏像や刀などが展示してあります。中はかなり狭いです。
地蔵尊と刀の間にある壺の中に小判98枚と大判2枚が入っていたそうです。
千体仏。円空が彫ったと言われる仏。龍泉寺に残る500体のうちの約200体。
ではもう一度外へ行きます。
模擬天守の奥には展望台があり、龍泉寺の高い立地から北西の濃尾平野が見渡せます。
好立地な位置にあったがために、合戦時に軍事拠点となった龍泉寺。ここから戦況を見極めていたのでしょうかね。
御朱印もゲットしました。
【住所】 愛知県名古屋市守山区竜泉寺1丁目902
【休業日】 年中無休
【電話番号】 052-794-3647
【アクセス】 ゆとりーとライン「竜泉寺口」バス下車。徒歩3分。
名鉄瀬戸線「小幡」駅下車。市バス「守山」行きに乗り替え「小幡緑地」バス
下車。徒歩7分。
【駐車場】 無料駐車場有り。普通車30台。
【龍泉寺城 模擬天守(宝物館)】
【開館日】 日曜日・祝日のみ開館。(平日や土曜日は開館していないので注意)
【開館時間】 9:00~15:00
【入館料】 100円
【尾張四観音 龍泉寺公式サイト】
城郭構造 平山城
築城主 織田信勝(信行)
築城年 弘治2年?(1556年?)
主な改修者 羽柴秀吉
廃城年 天正12年?(1584年?)
遺構 堀・土塁
指定文化財 未指定
っという事で織田信勝の居城であり尾張四観音の一つでもある龍泉寺でした!
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