こんちゃっす!今回は織田・徳川連合軍と武田軍が激突した長篠・設楽原の戦いの地を巡ります!
戦場となったのは現在の愛知県新城市になります。

長篠の戦いや長篠合戦とも呼ばれることがあります!
徳川方についていた国衆の奥平氏が武田方に謀反。しかし武田信玄の死後、再び徳川に帰参すると武田との国境近くの最前線である長篠城に配されました。
2年後、武田軍は1万5千の軍を引き連れて長篠城を包囲。鳶ヶ巣山砦を中心に、君ヶ臥床砦、姥ヶ懷砦、中山砦、久間山砦の5つの砦を築き包囲網を固めました。武田勝頼自身は医王寺山に布陣。

長引く籠城戦に耐えかねた長篠城の城主、奥平定昌は鳥居強右衛門という家臣に岡崎城にいる徳川家康に救援要請をするように指示を出しました。
鳥居強右衛門は片道60キロ以上もの距離を一人で駆け抜け、岡崎城にいる徳川家康に救援を要請する事に成功。鳥居強右衛門はすぐさま長篠城に帰るも途中で武田の兵に捕まってしまい、長篠城に向かって「援軍は来ない」と伝えれば命は助けてやると言われたが「援軍は来る」と叫び、武田勝頼は激怒。磔にされて命を奪われてしまいます。援軍は来るとの報告を聞いた長篠城の兵たちは士気を持ち直し、籠城戦を耐えぬく事ができました。
鳥居強右衛門の要請に呼応した徳川家康は織田信長に援軍を願い出て信長は快諾。徳川軍8千。織田軍3万という大軍が設楽原に構えた。この時、織田軍は岐阜から木材を運んできており、馬防柵を建てて武田軍の騎馬軍団に備え火縄銃で撃破するという作戦で挑みました。※兵数は諸説あり。
設楽原に布陣した織田・徳川連合軍を見て武田勝頼は長篠城を包囲する部隊を残して前進し、軍を前進させます。

馬防柵を有効に使用するには武田軍に攻め込ませ火縄銃の有効射程距離である50m以内に近づけさせなければなりません。そこで酒井忠次が武田軍の後ろを突くことと、長篠城救援の為に5つの砦の奇襲作戦を立てます。

酒井忠次は3千の兵を引き連れて夜中に吉川村から松山峠を越えて奇襲。5つの砦を墜とすことに成功。さらには武田勝頼の叔父、河窪信実を討ち取ります。勢いに乗った酒井忠次隊は包囲されていた長篠城をも救出するという大功をあげます。三河に土地勘のある酒井忠次だったからこそ、武田軍に気が付かれず奇襲できたそうです。5つの砦が陥落した頃、その報を聞いた武田勝頼は退路を塞がれる形になったため織田・徳川連合軍に突撃を慣行。火縄銃の弾が飛び交う中に突き進むしかありませんでした。

三方ヶ原の戦いの時には信長包囲網の渦中にあり、まともに徳川に軍を回せなかったが、長篠・設楽原の戦いでは十分な援軍ができたのだ。

長篠・設楽原の戦いは教科書にも載る、超有名な戦いですね!
筆者は2023年のGWに2日間をかけて長篠と設楽原の地を巡りました。撮影した写真の数はなんと400枚以上。かなりの大ボリュームの記事になる事、覚悟してくださいw
まずは高速道路から始まります!

長篠設楽原PA下り。このパーキングエリアは武田軍をイメージした赤色を基調とした建物が建っています。

武田家の家紋・武田菱がいたるところにあります。




長篠・設楽原の戦いの解説もあるので、戦国ファンに1度は寄ってほしいパーキングエリアとなっています。

ちなみに上りのパーキングエリアは我が織田軍をイメージした作りになっている。

上りのパーキングエリアは帰りに寄りました。記事の最後になると思いますので楽しみにしていてください!

最初の目的地が見えてまいりました。大きな鳥居強右衛門が目印の長篠城址です!

ここに駐車をして長篠城址内にある長篠城址史跡保存館へ!


ここでは長篠・設楽原の戦いに関する資料が数多く展示されています。

後の史跡巡りで参考になるので最初に資料館へ行って勉強するのは定番ですね♪


長篠・設楽原の戦いでは多くの火縄銃が導入された事を知っている人は多いのではないでしょうか。



長篠城址史跡保存館で無料で電動アシスト付きの自転車を借りる事ができる「長篠古戦場レンタサイクル」を利用させてもらいました。

レンタルできる電動アシスト付き自転車はこんな感じです。

では自転車を漕いで訪れた史跡を紹介していきます。
設楽原には設楽原古戦場いろはかるたという長篠・設楽原の戦いゆかりの地に、かるたの句が設置されています。そこも紹介していきます!
※前述にありましたように2日かけて新城市を巡りました。筆者が実際に巡った順番と前後している箇所があります。ご了承ください。

では出陣!!!

なにやら見えてきました。(よ~く見ていないと見逃してしまいますw)

こんな感じの坂を登っていくと見えてくるのが

設楽原古戦場いろはかるた【と】
設楽越中守陣地
樋田にて 退路をたちし 設楽貞通
設楽貞通は酒井忠次と共に鳶ヶ巣山砦の奇襲部隊に加わり、500の兵と50挺の鉄砲でこの樋田に陣を構えました。酒井忠次が奇襲に成功し、武田の兵が逃げ出すと設楽貞通が武田軍の退路を塞ぎ、残存兵を討ち取りました。

足を滑らせたら落ちてしまいそうな危ない場所にあるので注意!
いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせんす京

設楽原古戦場いろはかるたは”いろは歌”に加え、【京】の字があるんですよ(^^♪
では次の場所へ!

ある場所へやってきました。新城市の吉川という場所です。

この分かれ道を左に行くと看板があります。

設楽原古戦場いろはかるた【よ】
鳶ヶ巣奇襲隊進路
吉川より 豊田藤助 先に立ち
酒井忠次が率いる鳶ヶ巣山砦奇襲部隊を先導したのが、この吉川村一帯の有力者であった豊田藤助でした。地元の者しか分からぬ道を使用した事によって、奇襲を全く気付かれずに成功させました。近くには豊田藤助の屋敷跡やお墓もあるので、一緒に行かれてみてはいかがでしょうか。
いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせんす京

設楽原古戦場いろはかるたの看板の下にあった石碑。なんて書いてあるのでしょうか。

先ほどの分かれ道を左の奥へ進めば入山口があります。

ちなみに道がかなり狭いのでお車で向かわれる方は覚悟したほうがいいです。

では次の場所へ!

次はこちらへ向かいます。馬場美濃守信房のお墓です。

案内板がところどころにあるので場所は分かりやすいです。

こちらが馬場信房のお墓になります。


馬場美濃守墓と刻まれています。

これは…是なんとか町なんとか…全く読めませんでした(´;ω;`)
この小さな墓石から西に少し進むと

新城市指定文化財である馬場美濃守信房の墓があります。

畑の中にポツンとあります。


ここは馬場信房の首が埋められた場所と言われています。



次に馬場信房が勝頼を逃がすために殿を務め、討死した場所へ向かいます。この場所からず~っと北上し、新城総合公園の北東にあります。

馬場信房の塚の説明書き。

設楽原古戦場いろはかるたもあります。

馬場美濃守戦死墓。

馬場美濃守信房之碑。

馬場彦五郎勝行之墓。
馬場信房と共に殿を務め枕を並べ討死した馬場彦五郎勝行。馬場彦五郎勝行という人物は謎が多く、信房の叔父とも子供とも言われています。

設楽原古戦場いろはかるた【へ】
平然と 首を渡す 美濃守
撤退する勝頼を追撃する織田軍をこの地で食い止めていた信房。最後は川井三十郎という人物に敢えて争わず自ら首を差し出したと言われています。武士らしい潔い最期でした。
いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせんす京
このお墓がある場所から少し北へ向かいます。

ここはお墓ではなく、戦死した場所になります。

この辺りでは橋詰殿の戦いの場となった戦場で撤退する武田勝頼を逃がすため馬場信房が殿を務め、戦死した場所になります。

一応、駐車できるスペースはある…のか?コーンが立っているし駐車禁止なのでしょうか?よくわかりませんでした。

ここでゴミを捨てたり放尿すると、事故に遭遇するのかもしれません(´;ω;`)
でも駐車禁止とは書かれていませんね。

ではかなり細い道を通って馬場信房の戦死の地へ向かいます!

まぁまぁ高いので落ちたらケガします(;^ω^)

そしてなんとか細い道を抜けると、山道に入っていきます。

カメラの性能が悪く、暗い場所ではすぐに手振れしてしまいます。申し訳ございません。

さらに進みます。

緒巻桜ふぢう。ここで馬場信房が首を差し出したと言われています。
ここを上に上がれば馬場信房戦地の地があります。…が、筆者は間違えて更に奥に進んでしまいました。

木が倒木しており、あきらかにあまり人が通っていない感じが…。

頑張って進むと小屋がありました。

どこやねんここ…泣きそうになりながらもさらに進みます。

自然の湧き水に感動…している場合じゃありませんw
明らかに通り過ぎている感じがしたので、引き返すことに。

先ほどの緒巻桜ふぢう、ここのすぐそばに

上に上がる道がありました!

険しいですが、一応【道】です(;^ω^)

がんばって登ると

馬場美濃守討死之地の石碑がありました。山の中にありますが綺麗なお花が添えてあり今でも愛されている事が伝わってきました。

写真では分かりづらいですが、まぁまぁ高い場所にあるので注意。
👆この道から山の中へ入っていくと石碑があります。

では次の場所へ!
次は、武田勝頼が長篠城を包囲していた時の本陣、医王寺山の次に本陣とした場所へ向かいます。

新城IC近くの小高い丘に石碑がありました。

武田勝頼戦地本陣地と書かれた石碑があります。

ここに入口があり

坂を登っていけば上に行けそうだったのですが

入山禁止 地主の文字が( ;∀;)
上には古い看板があるそうなのですが、入山禁止なので仕方なく諦めました。ちなみにその上にある古い看板には
《天正3(1575)年5月 武田勝頼は幾日 徳川連合軍との決戦を前に長篠の医王寺で軍議を開いた
多くの忠臣は、決戦を回避すべきと進言したが、勝頼は聞き入れず、寒狭川を渡ってこの清井田に進撃し、ここを戦地本陣とした
21日未明、勝頼は設楽原に向けて 総攻撃を命じたが 戦いの結果は武田軍の惨敗に終わった。
この近くに 死を覚悟で出陣した武将が、水盃を汲みかわしたと伝えられている泉がある》
昭和57年 3月30日 新城市教育委員会
と書かれているそうです。

見たかったです(´;ω;`)
気を取り直して次の場所へ!

続いては、先ほどの武田勝頼戦地本陣跡の古い看板にも書かれている、死を覚悟した馬場信房、山県昌景、内藤昌豊、土屋昌続たちが水盃を汲み交わした場所です。

設楽原古戦場いろはかるた【け】
訣盃の 跡清井田に 清水わく
この清井田は綺麗な水が湧き出る事で有名です。死を覚悟した四人の武将たちはここで最期の盃を交わしました。
いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせんす京

たしかに綺麗な水が流れていました!

では次の場所へ!

続いては曹洞宗 聖堂山 勝楽寺にやってまいりました。

設楽原古戦場いろはかるた【ね】
ねんごろに まつりたやさぬ 勝楽寺
長篠・設楽原の戦いでこの勝楽寺周辺も激戦区になりました。戦いが終わったあとに信長や家康が戦勝の祝杯をあげるために勝楽寺によると、もともと松楽寺という名前だったのを勝楽寺と改めたと伝わってます。
戦いが終わって数日が経った6月。戦死者を埋めた信玄塚から蟻が大量に発生し、村人が困っていると相談を受けた玄賀和尚は戦死者の霊を鎮めるべく大施餓鬼会を行い、松明を炊いて霊を沈めたという。これが「火おんどり」(=火踊り)のはじまりです。
いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせんす京
【所在地】
愛知県新城市川路字夜燈20
【開苑時間】
10:00~18:00
【電話番号】
0536-22-0753
【駐車場】
無料駐車場あり
【アクセス】
<電車>電車でJR飯田線“三河東郷駅“下車、徒歩3分
<車>新東名高速“新城インター”より約3分
【勝楽寺HP】

では次の場所へ!

勝楽寺から南下していきます。のどかな田園風景が広がっています。

すると、田んぼ道にポツンと設楽原古戦場いろはかるたを発見!

ポツンとあるものも多いので見逃しやすいです(;^ω^)

設楽原古戦場いろはかるた【京】
京めざす 武田の雄図 今悲し
長篠・設楽原の戦いが勃発したのは武田勝頼が京を目指したわけではありません。しかし武田勝頼には三河・尾張とその先の京へと向かうビジョンがあったのかもしれません。
長きに渡って甲斐を支配し続けた武田家がこの敗戦で大きく弱体化してしまい、後に滅亡の原因となってしまったことは、悲しいという意味が込められています。
いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせんす京

では次の場所へ向かいます!

ほんといい景色で心が癒されます。この道をまっすぐ進んでいくと

設楽原古戦場いろはかるた【か】
山本勘蔵信供之墓
勘蔵は この地に死して 名を残す
という句があります。
いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせんす京

ここからさらに奥に進むと

傅山本勘蔵信供之墓と書かれたお墓があります。(傅とは伝わっているという意味)

山本信供の墓
信供は武田二十四将の一人で、武田の軍師といわれた山本勘介晴幸の子として弘治二年(一五五六)、山梨県高根で生まれ、天正三年五月、設楽原の戦いに二十才の若さで討ち死にした。
信供らは、はじめ高坂昌澄らとともに、長篠城監視隊として、寒挟川沿いに備えていたが、武田勝頼本陣から全軍設楽原に終結し、決戦することを指示され竹広の山形高地に転戦した。
しかしこの時すでに遅く味方の軍勢は総くずれとなり、信供は単騎で徳川本陣めざし斬り込み、渡辺半蔵守綱との戦いに敗れた。戦後、守綱は家康に話し、勝楽寺前に石を建て弔ったという。後に一石五輪塔がまつられた。

山本信供の父、山本勘介(勘助)は武田の軍師として、川中島の戦いで啄木鳥戦法を提案した人物として有名ですよね!
巨大なカエルが出現して、かなりビックリしたのはいい思い出です。

っという感じで今回は以上です!
まだ写真の半分もアップできていないので、長篠・設楽原の戦いの史跡巡りはまだまだ続きます!次回の更新もお楽しみに!
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