こんにちは!
今回は2022年のGWに訪れた滋賀、戦国歴史観光の続きになります!
まだ続くんか!?どんだけいろんな場所にいったんじゃ!
ふふふ、もう少しで終わりますが、まだ続きます!
そうなのか!今回も楽しませてもらうんだがね!
前回の記事はこちら👆
今回は織田信長の家臣であり、あの有名な森蘭丸(もりらんまる)の父親でもある森可成(もりよしなり)の墓がある聖衆来迎寺(しょうじゅらいこうじ)へ向かいました!
【住所】 滋賀県大津市比叡辻2-4-17
【拝観時間】 9:00~17:00
【拝観料金】 500円(要予約)
【アクセス】 《公共交通機関》JR琵琶湖線 「大津」 下車 バス 20分 来迎寺鐘化前
JR湖西線 「比叡山坂本」 下車 徒歩 15分
京阪電鉄/石山坂本線 「京阪坂本」 下車 徒歩 20分
《車》 湖西道路下阪本インターチェンジから5分
【駐車場】 普通車20台 大型車1台
【電話番号】 077-578-0222
尾張の国(現岐阜県羽島郡笠松町)に生まれる。
※尾張は愛知県西部と言われていますが、岐阜県の一部も入っていました。
美濃の守護大名の土岐氏に仕えたが斎藤道三に土岐氏が滅ぼされると織田家の家臣となる。
信長に仕えた後は清州織田家の織田信友を討ち取るなどの功績をあげる。
信長包囲網の中、宇佐山城にいた森可成は浅井朝倉連合軍に攻められ、坂本の町外れで討死。
織田家の主力部隊は三好三人衆や石山本願寺と戦っていたため援軍に来ることができなかった。
織田信長の弟である織田信治(おだのぶはる)も共に討死した。
織田信長が比叡山延暦寺を焼き討ちした際、聖衆来迎寺は森可成の墓があったために焼き討ちにあう事がなく、国宝や重要文化財が数多く残っています。
明智光秀が築城した坂本城の門が移築されたものと伝わる表門。
私の建てた城の門がまだ残っている事に感激です!
本堂。重要文化です。
客殿。重要文化財。
開山堂。同じく重要文化財。
開山堂の写真奥に墓地が見えますでしょうか?ここに森可成の墓があります。
森可成の墓。
あの時は援軍に行けずに申し訳なかった…。
聖衆来迎寺には織田信長の嫡男の織田信忠(おだのぶただ)の嫡男の織田秀信(おだひでのぶ)母と言われている寿々(鈴姫)の墓もあります。
その関係なのか、この聖衆来迎寺には織田秀信の肖像画が残されています。
っという感じで今回は以上です!次回の更新もお楽しみに!
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