こんにちは!
今回も2022年のGWに訪れた滋賀県の戦国観光の続きになります!
前回は森可成のお墓がある聖衆来迎寺へ行きました!
前回の記事はこちら👆
今回はそこからすぐ近くにある明智光秀の居城。坂本城址へ行きたいと思います!
ついに私の城へ行く時が来ました!
坂本城址は現在、坂本城址公園となっており、人々の憩いの場になっております。
【住所】 滋賀県大津市下阪本3丁目2−1
【駐車場】 普通車10台(満車な事が多いので注意)
【休日】 年中無休
【開園時間】 24時間
【アクセス】 《公共交通機関》JR大津駅からバス下阪本下車徒歩3分
《車》湖西道路下阪本インターチェンジから5分
【びわ湖大津トラベルサイト】
1571年に比叡山焼き討ち直後に織田信長の命により明智光秀が築城した城。ルイス・フロイスの著書「日本史」には安土城に次いで天下第二の城と評されるほど豪壮華麗な城であった。
山崎の戦いで明智光秀が敗れると、安土城にいた明智秀満が坂本城へ移る時に羽柴軍に包囲されていた坂本城に入城する事を諦め城に火を放ち自刃しました。その時に坂本城は焼失。
その後は丹羽長秀が入城し賤ヶ岳の戦いでは軍事基地として使われた。
1586年に大津城が築城される際に廃城となり、城の資材は大津城に転用されたと言われている。
公園内には坂本城の地図があったり
明智光秀の像があったりします。
光秀(おとこ)の意地という明智光秀が主君の織田信長に謀反を企ててから実行し、天王山で羽柴秀吉に敗れるまでの事を歌った歌の歌詞が書かれた石碑があります。
YOUTUBEで歌を見つけました!
馬で琵琶湖を渡っている武将が描かれているが、馬で琵琶湖を渡ったと言われているのは
、私の家臣であり女婿または異説に従弟とも言われている明智秀満という話があるが、どうなんでしょうね。
公園内に石垣のような物を発見!
公園は琵琶湖と繋がっており、景色がとても綺麗でした。
坂本城址公園に隣接されている道路の県道558線沿いを歩いているとこのような物を発見!早速向かってみます。
湖中に残る石垣が見れるのか!楽しみじゃのぉ!
草が生えまくっている道を進んでいきます。
付きました!が、この日は琵琶湖の水が多くて石垣を見る事ができませんでした!
水が少ない時はここから石垣が見えるのですが、残念です(´;ω;`)
再び県道558線沿いに戻り、少し北へ行くと明智塚があります。
街中にポツンとあるので見逃してしまうかもしれません。
この中に明智光秀の脇差が埋まっているそうです。
この塚に触れると祟られるという噂があるそうです。
私は祟ったりしませんから大丈夫ですよ!
明智塚から南西に行くと、坂本城址公園とはまた別の坂本城址の石碑があります。
ここは二の丸跡と推定されています。
坂本城の説明。
少し先へ進むと南東寺というお寺があります。比叡山延暦寺の南東にある事から南東寺という名前がついたそうです。
すべての門が閉まっていたため、中に入る事ができませんでした。上の写真の本堂は外から撮影したものになります。
この東南寺内には坂本城が落城した際の戦死者の供養塔がありますが、門が閉まっていたため撮影できませんでした。
【住所】 滋賀県大津市下坂本3丁目6-14
【開門時間】 9:00~17:00(筆者が訪れた時は時間内でしたが開いていなかったので注意)
【駐車場】 おそらく無かったと思います。坂本城址公園から歩いてすぐ来れます。
【アクセス】 《公共交通機関》JR大津駅からバス下坂本下車徒歩3分
《車》湖西道路下坂本インターチェンジから5分
【びわ湖大津トラベルサイト】
【城郭構造】 平城、水城
【天守構造】 連結式(1572年築・非現存)
【築城主】 明智光秀
【主な改修者】 丹羽長秀、浅野長政
【主な城主】 明智光秀、丹羽長秀、杉原家次、浅野長政
【廃城年】 1586年(天正14年)
【構造】 石垣、井戸、暗渠(あんきょ)、礎石建物等
【指定文化財】 なし
【再建造物】 なし
次回!ついに2022年のGW編最終回になります!
次回の更新もお楽しみに!
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