こんちゃっす!
前回から訪れている岐阜県垂井町の竹中半兵衛の史跡巡りの続きになります!
今回からは今でも遺構が色濃く残る菩提山城へ向かいます!

菩提山城は標高401mの山頂にあり東西約150m、南北約300mの西美濃最大級の山城になります!竹中重元、竹中半兵衛(重治)、竹中重門と三代に渡って使われたトラップだらけの最強の山城のひとつです!※筆者主観(≧▽≦)
菩提山城へ向かう入口は主に4種類あり、菩提寺から登る「菩提入口」・禅幢寺から登る「大手道入口」・竹中氏陣屋跡近くから登る「御茶屋入口」・明神湖の手前から登る「山の神入口」がありますが、筆者は大手道入口から登り、菩提入口から向かいます!
2022年に山の神入口の道中の橋が崩れて山の神入口が封鎖されたため、確認してから向かういましょう!

筆者はただの足軽となり、菩提山城を攻めるつもりで登城します!…いざ出陣!!!

登山口には八幡神社があります。

登山口。クマ出没注意…(´;ω;`)
ちなみに「菩提山城跡」という看板に立てかけてあるの杖は勝手に使っても大丈夫です。筆者はそれに気が付かず杖なしで登山し後悔しました。

マムシに注意!豚コレラウイルスに感染したイノシシ!?
この時、不安が爆発しそうでしたがツイッターのフォロワー様が励ましてくれたため進むことができました。
地元のおじ様の話によると登山者が熊っぽいものを一瞬見ただけでもこのような注意書きを書かなくてはいけないようで基本的にはいないそうです。よかった( ´Д`)=3 フゥ


この石灰帯を踏んで靴底を消毒しろということです。

このような城とは関係ない写真ばかり載せるので写真の数が増えてページが重くなるんじゃないのかな?

ぐうの音もでません…。

佐和山城に続いて2度目の徒歩で山城へ!では山道を進んでいきます!
(筆者心の声) いきなり竹が倒れとるじゃん不案過ぎる…(´;ω;`)

シカなどが山から出ない様にする防護柵。佐和山城にはなかったぞ!?

道は整備されているので歩きやすいです。





ザ・山って感じです。4月でしたが少し汗ばんできました。

御茶屋入口との合流地点。

364m進んできました。菩提山城跡まで1586mがんばるぞ!



石垣…ではないです。

分かれ道のように見えますが、右が正解。左の道は途中で木に塞がれていますね。

手書きの可愛い看板にホッコリ。

道も整備されていますが、木にも目印が付けてるのでわかりやすいです。

またもや分かれ道に見えますが、ここはどちらからでも行けたを記憶しています。

またもや分かれ道…。とおもいきや右は道ではなかったです。


そして山の神入口のルートとの合流地点。お城まであと710m

なにか人工物が…柵にしては低すぎる。

謎の人工物から見下ろしてみると、かなりの傾斜面になっていました。

狭い道。少しでも左にズレたら落ちてしまいそう!

木がめちゃくちゃ高い。

そして開けた場所へ!!

かなりの数の木が伐採されていました。

右も左も前も後ろも木ばかりだったので、開けた場所に出てテンションがあがってきました!
この写真は山から南東の方角を見ています。

白山神社や菩提寺がある菩提入口ルートとの合流地点。帰りは菩提入口ルートから下山しようと思います。


まぁ大丈夫でしょう!

鉄塔。山を破壊するのには反対ですが、生きるためには仕方ありませんね。

そして!この道を進むと

菩提山城に到着です!!!


現在地を縄張図で表示しながら写真を載せていきます!
菩提山城を攻める敵兵だと思って進みましょう!

まずは竪堀。



その竪堀に挟まれているのが


土橋です。堀は基本的に通る事ができないため、敵兵は土橋を通ろうとします。しかし狭いため大軍が通れなかったり敵兵が集中するのでまとめて迎え撃ったりすることができます。


まずはここで討ち取られますw
では奥へ進みます!

大きな岩。今後もこんな感じで何となくで撮った写真も多々あるのでご注意を。


奥に「のぼり」が見えてきました。あそこが最終目的地の本曲輪です!
人が見える(´;ω;`)やっと心に余裕が出てきた筆者であった。

大手曲輪に着きました。


曲輪とは区画の事です。大手(正面)から攻めてきた敵を迎え撃つ区画なので大手曲輪と言います。


自然の山の形を削り取って絶壁にした切岸があります。

こんな絶壁、登る事ができません(;^ω^)

壁の角度が凄い事になっているのが分かります。でも築城当時からだんだんと崩れていき角度が緩くなったんじゃないかなぁと思います。

三の曲輪に到着。



三の曲輪の奥(南側)には三の曲輪と奥にある出曲輪を分断する堀切があります。
黄色い線で囲った部分には土塁があったと思われるんですが、だいぶ低くなっていました。

こんな感じ。出曲輪から攻めてきた敵兵が三の曲輪に進入するのは至難の業です。


なかなかの深さがあります。
奥にある出曲輪に向かうにはこの堀切を通るしかありません。

写真中央。うっすら道っぽいものも作られています。(もちろん近年に作られた道ですよ。)

堀切の中の看板も気になる。行きます!!!

急斜面にビビりながらも降りてきました。



美しいV字の堀に圧倒されてしまいました。

そして堀切を登って出曲輪のへ。

お城から出っ張っているから出曲輪。そのままの名前です。


出曲輪から垂井町岩手地区の様子。こうやってみると岩手地区は、菩提山城と竹中半兵衛に見守られている感じがしますね。

ちなみにこの出曲輪。竹中半兵衛の子、重門が関ケ原の戦いに向けて増築した部分じゃないかと言われています。そう、出曲輪の先の方角には関ケ原があるのです。
この出曲輪の奥には

畝城竪堀があります。



畝状に竪堀を密集して築くことで、面を堀で覆ってしまう恐ろしい防御施設です。

半兵衛に負けず劣らず重門も、なかなかやるんだがね!
出曲輪の西には腰曲輪があります。



城を囲む曲輪である、帯曲輪の短いものを腰曲輪と言います。


では先へ進みますぞ~!


台所曲輪に来ました。

籠城戦では要所となる兵糧を備蓄する曲輪。城郭の中央付近にある事からこの曲輪がいかに重要だったかというのが伺えます。



半兵衛殿は何を食べていたんでしょうね!
そして帯曲輪。






木がかなり生えていたためよくわかりませんでした(;^ω^)
続いては西の曲輪へ!



本曲輪の西に位置する曲輪。面積はそれほどもない曲輪でした。ここには物見台があったそうです。

西の曲輪の東、本曲輪の切岸に隣接して横堀があります。

西の曲輪から本曲輪を見上げて。ここの切岸もなかなか迫力があります。

一瞬だけ先に本曲輪へ行きます!

逆に本曲輪から西の曲輪を見下ろした様子。

こんな感じで二の曲輪にいる敵兵を高所にある本曲輪から集中砲火する訳です。

本曲輪から二の曲輪の看板をパシャリ。

では本曲輪はまた後ほど来ますので次の竪堀へ向かいます!

この辺りにいます。

ここにも立派な竪堀があります。

馬すべり坂。急激な坂になっています。相手の馬が登れない急斜面だから馬すべり坂というのでしょうか?調べてみましたがよくわかりませんでした。

↑この写真はどこの竪堀だっかた全く思いません。迷路に迷い込んだ感じでしたので(;^ω^)

ではいよいよ二の曲輪と本曲輪のある山頂部へ向かいます!




虎口。看板にもあるように出入口です。両脇を堀に挟まれた狭い通路になっており、ここで鮨詰め状態になった敵兵を一気に攻めます。


こんな感じ。この通路を右に行くと二の曲輪で左に行くと本曲輪になります。まずは二の曲輪へ向かいます!
っとその前に二の曲輪にあるL字の空堀です。



だいぶ浅くなっていますが、歴とした空堀です。そして二の曲輪へ。


山頂部の南にある二の丸。

散ってしまっていますが、綺麗なお花がありました。この二の丸の南側にあるのが、先ほど見た切岸になります。

では最後に本曲輪へ…!
っとその前に本曲輪前の空堀を。



最終防衛ラインの本曲輪を守る空堀。重要な遺構ですね。先ほどの二の曲輪前の空掘も、この空堀もかつては2~3mほどの深さがあったと考えられるそうです。
そしてやっと本曲輪へ!



本曲輪から二の曲輪の方を見て。空堀と空堀の間にある細い土橋を渡ってきた敵兵を本曲輪の土壁から射撃したと思われるそうです。(三浦正幸先生考察)

こんな感じ。鮨詰め状態に側面からの射撃。敵兵は下がれば空堀に落ち、後退しようにも味方が邪魔で戻れない。まさに竹中の恐るべきトラップ。二の曲輪からも射撃を受ければ銃撃の挟み撃ちで壊滅状態になります。

さすが竹中氏だがね!

景色が最高です。疲れが吹っ飛びます。

北側に見えるのは池田山です。池田山の景色も絶景ですが、切り岸の急斜面にも驚きました。


竹中半兵衛重治公菩提山城跡と書かれた大きなのぼり。

山の麓からでも目を凝らせば見えます。

数年前まではもっと木があったみたいなんですが、最近木が伐採されて整備されたようです。

同じような写真を何枚も撮ってしまう筆者(;^_^A

竹中氏陣屋跡と菁莪記念館も見えます。

竹中氏陣屋跡の超ズームで。写真右に見える階段がわかりますか?これが櫓門の階段です。
ここです。(*’ω’*)


東の方をよ~く見ると岐阜城がある金華山が見えます。

ベンチとテーブルがあるので最高の景色を見ながら少し休憩。

標高401m。ここまで歩いてきたんだな~と感動していると地元のおじ様が声をかけてくれました。
いろいろお話をしているうちに、望遠鏡がある事を教えていただきました。


なんとタダで使用できます!おじ様に相川鯉のぼり一斉遊泳というものがあるから見てごらんと言われて望遠鏡で見てみました。

↑望遠鏡ではハッキリと見えましたが私のカメラのズームではこれが限界でした。

拡大するとこんな感じ。無数の鯉のぼりが川の上空を遊泳しています!これは見に行かなければ!


そして腰曲輪。



本曲輪から北側の竪堀を見下ろして。

では菩提山城を十分楽しんだので下山します!先述にもあるとおり菩提入口のルートから下山しようと思います!

ここを右に行けば菩提寺のほうへ行けます。





菩提入口ルートだと道中に休憩用のベンチがありました。





何か神社のようなものが見えてきました。

白山神社です。


石段下には菩提寺があります。


御堂。お寺の事は無知なのでよくわかりませんでした。


松尾芭蕉の句碑。
此の山の 悲しさ告げよ ところほり
大凶作で人々が芋を掘り出して生活している様子が詠われているとのこと。

鳥居が見えてきました。

そしてこの階段を降りると

下山です!!!自分お疲れさま!!

菩提入口には駐車場があります。

現在位置。

山を登る前は不安でしたが、無事下山できたことでの安堵の気持ちと田舎の景色に癒されました。



菩提山城と竹中氏三代、ありがとうございました!

田舎っていいですね~

長い長いブログ、ここまで読んでくださいましてありがとうございました。岐阜県垂井町の竹中半兵衛の史跡巡りいかがでしたか?以上で終了となりま……せん!!

ごめんなさい。まだまだ続きますw

地元のおじ様が教えてくれた相川のぼり一斉遊泳。


川には可愛い飛石があって川の上から鯉のぼりを見ることができます。



相川鯉のぼり一斉遊泳は3月下旬から5月上旬まで開催されています。桜が咲く時期に行けば桜と相川と鯉のぼりのコラボが見れます。

では次の場所へ!

JR垂井駅です!

駅前には関ケ原古戦場史跡案内図もありました。


駅構内には戦国武将たちの家紋が描かれたロッカーがあります。これはテンションあがりますね。
そして垂井駅と言えば!

竹中半兵衛重治公像です。竹中氏陣屋の櫓門前の半兵衛像もかっこいいですが、これもかっこいいですね~!垂井駅北口のロータリーにあります。

垂井駅を見守る半兵衛公。

駅前には垂井町観光案内所があります。
【アクセス】 〒503-2121 岐阜県不破郡垂井町1812-10
【開所時間】 9:00~14:00
【電話&FAX】 0584-23-2020
【駐車場】 なし
【垂井町観光ガイド】


観光案内所は竹中推しがすごいw(撮影許可済み)


竹中半兵衛の軍配を頂きました。なかなかしっかりした作りになっており、うちわとしても使うことができそうですw

この軍配を頂いた事で竹中半兵衛に認められたような感じがしました。

御城印も購入しました。

戦国の知将 竹中半兵衛の里 垂井町。いかがでしたか?今度こそ終わりです。
写真・画像を合わせて191枚。このブログ史上一番のボリュームの記事になってしまいましたが、最後まで見ていただきありがとうございました。
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城主 竹中重元
築城年 寛永2年(1559年)
主な城主 竹中氏
廃城年 慶長5年(1600年)
遺構 本曲輪・二の曲輪・三の曲輪・西の曲輪・台所曲輪・大手曲輪・出曲輪
腰曲輪・竪堀・堀切・土塁
指定文化財 垂井町指定史跡

っという感じで竹中半兵衛の里 垂井町の史跡巡りでした!
次回の更新もお楽しみに!
コメント