こんちゃっす!
今回は静岡県静岡市葵区にある駿府城へ行った時の写真を紹介していこうと思います!
戦国時代には今川義元の居城であり、桶狭間の戦いで今川義元が討死すると武田信玄に攻められ落城。武田信玄の跡を継いだ武田勝頼率いる武田家が織田信長に滅ぼされると徳川家康の領地になった。
江戸時代に入ると徳川家康は息子の徳川秀忠に将軍職を譲り、この駿府城で隠居。数年後にこの場所で死去した。

今回は駿府城で最期まで過ごした家康殿にいろいろ解説していただきましょう!

江戸の町が発展する前はここが首都のような感じじゃったんじゃ
筆者が駿府城に訪れた日にちょうど、大道芸ワールドカップというイベントをやっており、混雑していたため、あまりパシャパシャと写真を撮る事ができなかった事を先に述べておきます…。

大手門跡から入城します。駿府城址には静岡県庁があり、奥に見えるのは静岡県庁東館になります。
大手門跡は駿府城公園の外にあります。


桝形虎口になっています。

切込接の石垣で綺麗に積まれていますね。


駿府城公園案内を発見!では公園内に入っていきます!

駿府城公園公式サイトから地図をお借りしています。
まずは、二の丸にある坤櫓に向かいます!

坤の一字で【ひつじさる】と読むんじゃぞ
坤とは西南を意味する感じで、その通り西南に坤櫓があります。

【開館時間】 9:00~16:00(最終入場は16:00まで)
【休館日】 月曜日(祝日や休日にあたる場合は営業)
12月29日~1月3日
【入場料】 大人100円(団体30名以上80円)
小中学生50円(団体30名以上40円)
<東御門・巽櫓、紅葉山庭園との共通券> 大人360円(団体30名以上280円)
小中学生120円(団体30名以上90円)
【駿府城公式サイト・坤櫓】

公園の入場が無料じゃが施設に入る時は料金がかかるのである
駿府城は幾度となく火災や地震で倒壊と再建を繰り返した歴史があり、安政元年(1854年)の安政大地震の状況を示す「駿府城絵図」には坤櫓が再建された様子はなく、平成26年(2014年)に再建されました。



では坤櫓に入ってみようと思います!

木造で再建された坤櫓は立派な梁があったり、なかなか迫力がありました。再建するにあたって床板と天井板が全て外されており、1階から3階まで見通す事ができます。





櫓内は展示室のようになっており、坤櫓の事が詳しく紹介されていました。

坤櫓から見た様子。

残念ながら2階や3階にあがる事はできんのじゃ

続いては現在、駿府城の天守台では発掘調査が行われており、その様子を見学する事ができるので、行ってみいます!


かなり近づいて見学することができます。

今回の発掘調査で徳川家康時代の天守台の下に豊臣秀吉時代の天守台が見つかりました。

浜松城の家康時代の天守台は江戸城をも凌ぐ、日本最大級の天守台でした。

発掘調査、本当に大変そうです。感謝しかありません。


今川氏がこの地域を本拠地にしていた頃の遺構も見つかっています。この駿府という地域は軍事的にも政治的にも重要な場所だったのでしょう。




ここに巨大な天守があったのですね。

天守台発掘調査の現場から徳川家康像の後ろ姿が!見に行きましょう!


駿府城で過ごした大御所時代の徳川家康を模した像になります。趣味であった鷹狩をしている様子ですね。


ワシ、かっこいいのぉ

家康像のすぐ横には家康公お手植のミカンがあります。

当時家康が自ら植えたミカンの木で鎌倉時代に中国から入った紀州ミカンの一種と言われています。
小粒で香りが強いのが特徴です。筆者が訪れた時は数多くのミカンの実を実らせていました。
なんとこのミカンの木は家康が植えたものが現存しています。実ったミカンは市民に配られるそうです。

一個食べたかった…!

っという感じで駿府城の前半は以上です!
次回の後半もお楽しみに!
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