こんちゃっす!
2022年のGWに滋賀観光に行ったばかりですが、再び滋賀観光へ行ったのでその時の写真を載せていこうと思います!
まぁた滋賀に行ったのか!
はい!でも前回といった場所が全く違うので見所があると思いますよ!
まずは国宝である彦根城へ向かいました!
関ヶ原の戦いで勝利した東軍の武将であり徳川四天王の一人だった井伊直政は戦後、西軍の石田三成の居城であった佐和山城主になったが石田三成の居城という事が気に入らず、新しく築城しようと考えていた。しかし関ヶ原の戦いで受けた傷が悪化し井伊直政は他界。息子の井伊直継が築城を引き継ぎ完成した彦根城を居城とした。
明治時代になると廃城令で次々と城が破却される中、明治天皇が彦根行幸した際に大隈重信が天皇に働きかけた結果、廃城を逃れ今にいたりる。
彦根に築城したのは大阪城にいる豊臣秀頼を牽制するためなのだよ。
てんかふしん、てんかぶしんと読む。江戸幕府の命令で築城やインフラの整備をすること。
「徳川様のために、喜んでやります!自分でお金を出します!」というスタンスではあったが実際は大いに不満を持っている武将も多かった。幕府はお金を出さないため、外様大名の財力を削ぐ狙いもあったと考えられる。福島正則は名古屋城築城の際、普請が多すぎて愚痴を言ったことも。
徳川は幕府のお金を使う事なく城を築城できたので、丸儲けである。
では早速彦根城へGO!
【開場時間】 8:30~17:00(最終入場は16:00)
【休場日】 12月25日~12月31日
【料金】 基本的には大人800円 小・中学生200円ですが公式サイトみてください。
【住所】 滋賀県彦根市金亀町1-1
【電話番号】 0749-22-2742
【駐車場】 あり
【アクセス】 JR彦根駅から徒歩15分
【公式サイト】
地図は彦根城公式サイトからお借りしています。 (彦根城について | 国宝 彦根城 (hikonecastle.com))
ではまず南側にある京橋口門からお城に入りたいと思います♪
👆の地図が北が右側になっているので注意!
京橋口門は車で通る事ができます。
お城に入ると滋賀県立彦根東高等学校の門があり、その横に家老 長野伊豆屋敷跡の石碑があります。
長島城もそうでしたが、お城の跡地に学校があるっていいですね~
そんな学校に通いたかったです!
そして大手門橋へ。つまりここがお城の正面入り口となります。内堀を越えて入城です。
大手門の石垣。立派です。
かつてここに大手門がありました。
大手門跡を進んでいくと右手に金亀山地蔵尊(こんきさんじぞうそん)があります。
昭和初期。彦根城内にあった地蔵尊、約50体を有志がこの場所にある集め小堂を建てたことに由来。ご利益があるそうです。
この金亀山地蔵尊の先に料金所があります!
ながーい道、大手山道を通り
先へ進むと何かが見えてきました。
見えてきた物は天秤櫓(てんびんやぐら)という防御施設です。
今立っている場所は大堀切(おおほりきり)と言い、山を掘って作られたお堀になります。
天秤櫓に続く橋。さすがに補強はされていますが江戸時代初期の物がそのまま残っています。
彦根城は天下普請の城なため各地の大名たちが集まって作られたことになります。なので天秤櫓周辺の石垣の積み方1つ見るだけで、いろいろな技術が使われてる事がわかります。
積み方が違う事がわかりますでしょうか?
では先へ進みます!
最近の調査結果が紹介されています。
石垣の技術って本当にすごいですよね…!!
天秤櫓の正面へやってきました。左右に櫓が付いており、天秤の様な見た目から天秤櫓と言われるようになりました。重要文化財。
左右対称に見えて、実は少し違っています。石垣の積み方にも違いがあり、向かって右側が越前衆が築いたと言われる「打ち込みハギ積み」石が打ち欠くなどして多少の加工されている積み方で左側が幕末の嘉永年間に積み替えた切石の「落し積み」石を斜めに積み上げるのが特徴。
では天秤櫓の下を通ります!
天秤櫓を真下から見上げた写真。
天秤櫓の裏側からの写真。
では天秤櫓の中に入ってみましょう!
意外と広くてビックリしました!
天秤櫓の内部から橋を撮影した写真。
隠し狭間(かくしざま)。彦根城の特徴です。
狭間とは壁に空いた穴から外の敵を銃や弓で攻撃するための穴のことを言います。この隠し狭間は外からは狭間の穴が無いように見えて有事の時に内側から壁を破って狭間を出現させる事ができるようにな構造になっています。
広島城の表御門の狭間。普通はこのように外からでもわかるようになっています。
しかし彦根城の天秤櫓には狭間が隠されていてわかりません!
何もない壁から急に狭間が出現して攻撃されるのはデラ怖いんだがね…!
っという感じで今回は以上です!
次回からは彦根城のさらに奥へ進みます!次回の更新もお楽しみに!
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